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ノンデザイナーが緊急入院から学んだデザイン思考

こんにちは、金融機関でデジタルマーケティングを担当しているJUNです!
「思考を止めない」「思ったことをシェア」をnoteのモットーにしていますので、こんなご時世ですが引き続き発信していきたいと思います。

実は体調を崩して年末から約1か月弱入院していました。

人生初めての入院・手術ということもあり、自分にとって非常に大変な出来事でしたが、そんな体験をつらい出来事で終わらせないためにも書いていきたいと思います。

今回は、入院生活を振り返って、ノンデザイナーがユーザー理解(憑依すること)の難しさについて気づいたことを書きました。

はじめに

はじまりは突然に

きっかけはクリスマス明けの急な腹痛でした。
1日たっても収まらず、家の近くかかりつけ医に見てもらったところ、「何かある」とのことで急いで近くの大きな病院へ。

外来で検査をしにいった結果、先生から緊急入院そして絶食生活の宣告が。。大変な20日間の幕開けでした…。

突然の入院によるQOLの低下

入院生活のタイムラインをまとめるとこんな感じです。

入院生活の時系列まとめ

緊急入院かつ即時の絶食開始だったため、ライフラインは点滴のみという正直過酷な日々でした。
絶食が1週間以上継続したうえで、(小休止がありましたが)手術を行いました。

その結果、食事・歩行・身体機能が著しく低下し、QOL(Quality of Life:生活の質)がとても低下してしまいました。

今までのあたり前が簡単に崩壊

今までのように食べれない

食事の機能低下は非常につらかったです。
絶食がつらかったというよりは、術後食事をとるようになってからの落差にショックを受けました。

実際に自分の身に起きたことや感じたことを上げるとこんな感じです。

ゼリーや味のある飲み物がとても美味しかった…

今までのように歩けない

次に歩行機能の低下ですが、こちらは主に術後に発生しました。
今までのようにうまく歩行できないことも大きなショックとなりました。

実際に自分の身に起きたことや感じたことを上げるとこんな感じです。

術後はびっくりするぐらい歩けません

体が痛い

身体機能の低下も発生しました。
特に術後は肩やおなかが猛烈に痛みました。

歩けないことと相まって、体が思うように動かなくなることへの悲しみ・落ち込みがあったと思います。

あちこち痛い、思うように動かない

負の3重奏で気づいたユーザー理解の難しさ

今回、私は「食べれない」「歩けない」「いろいろな部分が痛い」の負の3重奏のような状態に陥りました。
その結果、術後当初は何事も億劫になり心が弱っていくのを感じました。

一方で、その時にこう思いました。

これって「高齢者の苦しみを疑似的に体験していないだろうか…?」(高齢の方は少なからずこういった体験をしているのではないだろうか)と。

その後結果として徐々に食事がとれるようになり、痛みと闘いながらも歩けるようになっていきました。

不思議と少しずつでも日々自分の体が改善する事実に、びっくりするぐらい心が前向きになったことを覚えています。

今の苦しさよりも、苦しさが改善しないことのほうが何倍もつらい(怖い)。だからこそ、今のつらさに耐えてでも頑張ることができたのだと思っています。

想像が及ばない世界を知る

私は医療や介護に携わる人間ではありません。
なので、こういった世界は書籍や人の言葉でしか触れていません。

今回の体験を経て、医療や介護を必要とする人たちの現実をイメージできていなかった自分に気づきました。
いや、頭で理解していても、体験にまでイメージが及んでいなかったといったほうが正しいかもしれません。

過去事業企画担当だった時期は、事業を通してユーザーのQOLを高めていこう、と色々な施策を考えていました。

どんなサービスを提供していけばいいか、ユーザーのニーズを想像して仮説を作ってみたり、色々な世にあるサービスをリサーチしたりした記憶があります。

ですが、正直ここまでユーザーのペイン(今回でいえば高齢者の身体機能の低下による苦痛)をリアルに想像できていたかといえば、できていなかったと思います。

断片的な情報や想像を一人よがりに妄信してしまうと、思った以上に矮小なユーザー理解やUXを作り出してしまう。

今回の入院はこういった点に気づくことができた貴重な経験でもありました。

病院内で表現されていたデザイン例

若干余談ですが、私が気づいた病院内で表現されていたデザイン例を挙げてみたいと思います。

いわゆるユニバーサルデザインを家具に取り入れた事例です。

自ら使って便利さに気づく
いわゆる工業的デザインでしょうか

こういったものも、今回起き上がることが苦痛な状態であったり、おなかや肩が非常に痛かったりといった状態にならなければ、デザインの意図に自覚的に気づかなかったと思います。

おわりに:ユーザーに憑依しろとは言うけれど

CXやUXを語るうえで、「ユーザーに憑依するがごとく理解する」といった言葉が使われることがあります。

私の会社でも最近は「憑依しよう」と合言葉のようにしている部分があります。

ですが奇しくも今回の入院経験を通して、実際にはそんな生易しくできるものではないと痛感しました。

特に高齢者をターゲットとしている場合、(高齢者ではない)私たちがユーザーの目線に立てていることは実は非常に稀なのではないかと思います。
相手を知り理解しようとすることは大切なマインドですが、自らが疑似的に体験する・没入することは非常に難易度が高い行為なのかもしれません。

そのため、実際にユーザーに近い層と対話したり、行動を観察したりすることがとても大切だと改めて感じました。

次回は入院の経験を通して考えた「医療をサービスとしてみた場合のUX」について書いていきたいと思います(あくまでノンデザイナーが考えてみた内容ですので悪しからず)。

今回の私の経験が、みなさんのデザイン思考の参考になれば幸いです。


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