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日本人に分かりにくい「一神教」について

 昨日はみんなが幸せそうにしていたクリスマスでしたが、英語の綴りですと、Christmasなのですね。よく考えなくてもキリストに関するお祭りなのだろうと予想はつきますが、非キリスト教徒がほとんどの日本国民は何故この日を祝いの日というか、プレゼントの日にしてるんだろうか、とか思わず考えてしまった私であります。由来はひとまず↓に紹介しておきます。この記事では「キリスト教など一神教」について、余り日本人に知られてなさそうな事を書いておきます。

 さて、クリスマスが「キリストが産まれてきたことを祝う日」だという事が分かったわけですが、ぶっちゃけ非キリスト教徒のほとんどの日本人には何の関係もなく、単なるプレゼントをあげる日というか、恋人同士が愛を確かめ合う日になっちゃってます。ですが、ガチのキリスト教徒が怒ったりしてるという話は聞かないので、まあ大丈夫なのでしょう。ここが一つポイントというか、この記事で言っておきたい事になるのですが、過去はともかく、現在のキリスト教徒、大きく分けるとカトリックとプロテスタントと正教会の三つは、異教徒に対し攻撃的ではない、という事が言えると思います。ひとまずここを押さえておいて、タイトルである「一神教」について簡単に説明しようと思います。唯一至高の存在である神を信仰する宗教のことで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が代表的な一神教です。ちなみに日本国の神道は多神教です。なにせ八百万の神ですから。仏教は判断が難しいですが、そもそも仏教のいうところの「神」がもし「仏陀」であるなら、一神教と言えなくもなさそうですが、仏陀は悟りを開いた私たちのお手本の存在、という位置づけになるので、一神教における絶対神とは違う存在と言えるでしょう。そして、日本人のほとんどは神道と仏教のどれかの宗派を信仰しているのですが、データではこうなっています。

宗教的帰属で見ると、神道の信者数が8790万人(48.5%)、仏教が8390万人(46.3%)、キリスト教が190万人(1%)、その他の宗教団体の信者730万人(4%)である。「その他」の宗教および未登録の宗教団体には、イスラム教、バハーイー教、ヒンズー教、およびユダヤ教が含まれる。報道によると、統一教会の信者数は約60万人となっている(人口の約0.5%)。

米国国務省 国際信仰の自由室より

 私たち日本人の肌感覚では、まさにこんな感じだろうなと。お正月には神社に行き、お葬式には寺社へ行く。この行為に何の違和感もないのが日本人の宗教観ですから、クリスマスを祝うのも何のためらいもないわけです。このような宗教感覚の持ち主である私たちには、一神教は本当に理解が難しいと思います。

自分たちの信じる神様以外は認めない。

 この価値観が理解出来ないと、例えば、今パレスチナのガザ地区で起こっているハマスとイスラエルの紛争が分からない。イスラム教徒とユダヤ教徒の「宗教の衝突」が本質です。ユダヤ教とイスラム教の聖地はエルサレムですが、さらにはキリスト教の聖地でもあるのです。

 世界史の時間に十字軍など学んだと思いますが、「聖地奪還」がキリスト教徒の目標でした。聖地という概念も非常に厄介ですが、引用したサイトを読んでもらっても分かるのですが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は

「ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている」

 
ということなのですね。派生したというか、私に言わせると兄弟宗教みたいなもので、仲良くすればいいじゃないか、と思うのですが、どれもが一神教であるのが実にネックになっていて、例え派生的だろうがなんだろうがお互いを認めない。もう少し詳しく説明しますと、キリスト教の聖書は「新約聖書」と呼ばれますが、これは、「新しい、神様との契約の書」という意味で、古い契約、旧約とはまさにユダヤ教のことで、全否定とまではいかなくても、教えの内容は全く刷新されているので、まあ……仲良くは出来そうもないのですね。一方、キリスト教より700年ほど遅れて成立したイスラム教は、比較的キリスト教に好意的な記述もあるのだが、一方でキリスト教を信じる者が地獄行き、となっていて、やっぱり仲良くは出来ないのです。教えの内容も全然違うのは、イスラム教徒が行っている礼拝を思いだしてくれれば分かると思います。また、イスラム教は偶像崇拝を徹底的に禁じていますが、キリスト教も創造主そのものを彫像し敬うのは禁じていますが、イエス・キリストや聖母マリア像を崇拝するのは容認しているところにも大きいな違いがあります。望ましいのは新旧約の聖書とクルアーン(コーラン)を読んでもらうことですが、とにかく全然教えの内容が違う上に、それぞれの信仰に基づく唯一至高の神を信ぜよ、なので、忠実に教えに従えば異教徒許すまじ、になってしまうのです。日本人には絶対に辿り着けない感覚でしょう。もっとも、日本人にもこの三つの宗教の信徒はいます。いますが、おそらく他の宗教を信仰している人を攻撃しようとか、まず思わないのではないでしょうか。風土というか、宗教的不寛容という感覚がない、と言い切っていいと思います。なにせ「神仏習合」とかやってのける民族ですからね。それでも一昔前の日蓮宗系の宗教、創価学会などはかなり他の宗教を攻撃していたようですが、最近はとんと聞きません。やはり民族性に合わないのでしょう。そろそろまとめますが、

1,一神教は他の宗教を認めない、認められない
2,日本人は宗教に寛容なので1の感覚が分からない、分かりにくい
3,1の価値観でパレスチナ問題などを考えると理解しやすくなる

 ということになります。私は異なる宗教に寛容な、独特の感性を持つ日本人を世界は参考にしてほしいと思いますね。そうすれば対立が減ると思うのです。あなたの神も私の神も正しく尊い。こう考えられないものでしょうか。

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