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音楽の中に息づくもの~ペーター・ノイマンについて~

音楽に宿る生命~言語が持つ力~

高校でも大学でも授業などで音楽の指導をするとき、「どうしたら音楽が生き生きするのか」ということをよく考える。というか授業の目的はほとんどそれで、その為に手を変え品を変え授業しているに過ぎない気がする。

先日、アンサンブルを主宰される声楽家の方が、ジャズセッションにおける日本人と欧米人の演奏の違いについて、「母音で合わせるか子音で合わせるか」の違いだと表現されているサイトを紹介されていた。楽器演奏におけるリズムの感じ方を「母音・子音」という言葉で喩えられのは面白い。それは音楽の生命感と深く関わっていて、おそらくかなり本質に近い。リズムの感じ方の違いは、使用する言語の違いと相当関係する。私たちはおそらく、無意識のうちにそうした言葉から生まれる音楽のリズム感を取り込んでいる。だから欧米ルーツの音楽を表現の手段にする場合、何らかの欧米言語を習得すると、音楽が内含するリズムというものを自然と体得できるのではないかと思う。

5月のこの時期はコーラスや歌唱の指導をする機会が多いのだけど、練習の大半はこうした「言葉」の持つリズムをいかに伝えるか、扱う音楽の「生命」はどこにあるのか探ることに費やす。私は声楽の専門教育を受けたわけではないので、コーラスや歌唱は体得型である。だから必然的に、自分の引き出しとして実際に体験した素晴らしい音楽家達のことを回想してしまう。それはやっぱりドイツ留学中の出来事ばかりだ。ドイツではそういえば、実践の中で「音楽の中の生命感」の欠如にぶつかることは殆ど無くて(自分の表現に対しては葛藤していたけども)、帰国してから次々と欲求不満を抱えて、それがかなりの衝撃だった。ドイツでは生き生きとしていない音楽は「musizieren(音楽する、という動詞がある)していない」と音楽として見做されない感じがあった。

ペーター・ノイマンとケルン室内合唱団

自分自身のコーラス体験に関して言えば、思い返せば素晴らしい体験ばかりさせてもらっていた。私自身は専門外で、しかも本格的なコーラスはドイツで初めて始めたようなものなのに、あんなことが体験できたなんてウソみたいだ。しかもそれは現在の声楽に関する活動にも繋がっている。

間違いなく原点は、ケルンで出会ったペーター・ノイマン(Peter Neumann)であると思う。彼は私のオルガンの師匠の師匠にあたる人で、元はケルン音大のオルガン科の教授だった。私がケルンにいた時にはもう彼は自分の教会くらいでしかオルガンを弾いていなくて、活動の中心は声楽アンサンブルのケルン室内合唱団(Kölner Kammerchor)と古楽器を中心としたオーケストラ、コレギウム・カルトゥジアヌム(Collegium Cartusianum)の指揮、そして彼が長年カントール(教会音楽家)として務めていたカートイザー教会(Kartäuserkirche)の教会合唱団 カートイザーカントライ(Kartäuserkantorei)の指揮だった。

2006年に東京のラ・フォル・ジュルネで演奏していたけど、日本ではあまり知名度が高くないペーターの事をもう少し書くと、彼はドイツのカールスルーエに牧師の息子として生まれ、地元カールスルーエ、ハイデルベルク、ベルリン、パリでオルガン、指揮を学んだ。パリではガストン・リテーズと短期間だがオリヴィエ・メシアンに学び、指揮をチェリビダッケに学んだ(!)。1967年より、ケルンのオルガン科教授に着任したミヒャエル・シュナイダーのアシスタントに就任、後に教授になる。同時期にカートイザー教会のカントールに就任。ケルン室内合唱団とコレギウム・カルトゥジアヌムとでこれまでにシュッツやバッハ、ヘンデルやモーツァルトなど、数多くの教会音楽作品の上演及びCD収録を行っている。近年では指揮者としての彼の功績を讃えて2015年にライプツィヒ市から「バッハ・メダル」を授与されている。

私が彼の演奏を聴いたのは、まだ音大に入る前に語学学校に通っていた頃で、イースターか何かの折でのカンタータか何かだったかと思うけど、何を演奏していたのかも覚えていない。だけど彼が指揮するコーラスと古楽オケは抜群の洗練さと高い精度を持っていて、神々しい響きで有無を言わさず私をその世界に引きずり込んだ。その後団員の1人と知り合ったのをきっかけに室内合唱団の「ヨハネ受難曲」の練習見学に通いつめ、あまりに興奮してついに自分も発声指導を受け始め、ペーターが定年で指揮者のポストを退いた直後のカントライに入団してしまうほど、すっかりかぶれてしまっていた。

メンバーとしての体験

実際のところ彼の練習は相当厳しくて、室内合唱団の入団にはこれまた厳しいオーディションがあった。ペーターの自宅でのオーディションの際、moll-Terz(短3度)とDur-Terz(長3度)の取り方をやり直され、私の3度音程が平均律に近いことを指摘された。後に欠員補充として2回、彼のプロジェクトに加わらせてもらい、ナント(ドヴォルザークの「レクイエム」)とリスボン(ヘンデルの「Saul」)でのラ・フォル・ジュルネの参加が許されたけど、練習は毎回ビクビクするほど怖かった。そして練習時間もかなり長かった。ストイックな彼は一音一音に対する要求が驚くほど多く、練習でも本番でも気が気でなくて、残念ながら奇跡的な状況を楽しむ余裕はなかなかなかった。しかもヘンデルはピリオド楽器に合わせて415ピッチで歌うので、何となくの絶対音感がある私は半音下げて歌うのに泣かされた。でも素晴らしいメンバーと素晴らしいソリストには毎度溜息が出た。実際のところ、室内合唱団のメンバーは声楽を専門にしている人も当然いたけど、音大卒ではないアマチュアのメンバーも結構いて、しかし彼らも抜群に上手かったのです。

2009年にドイツのarteで放映されたブクステフーデのカンタータ、「Alles was ihr tut mit Worten oder mit Werken」(言葉と行いによって成すことはみな)では、ペーターの世界観が垣間見られる。2009年は私が帰国した年で、映っているメンバーはよく知っている顔ばかりで懐かしい。

ペーター・ノイマンの録音というのでは、モーツァルトのミサ曲全集が知られている。今は廉価版が出ているので入手もしやすい。ミーハーなことが嫌いだった彼は、当初は「レクイエム」の収録はしていなかったのだけど、今ではそれも揃っている。

古楽復興ブームのなかで

ブクステフーデのカンタータを例として、ペーターは比較的普段取りあげられにくいマイナーなレパートリーを扱う傾向にあった。私が参加していた時期はヘンデルのオラトリオが多かったけど、様々な収録で彼自身の校訂が加えられていたり、作品研究もかなり熱心にしていた。

ペーターが指揮者として活動を始めた頃、ヨーロッパでは古楽復興ブームがおきていた。彼もそのさきがけ的な存在だったのかもしれない。今は亡きアーノンクールやレオンハルトといった巨匠たちを、ペーターはどんな風に見ていたのだろう。オルガニストのハラルド・フォーゲル氏がかつてオルガンの講習会で、「もっと他の演奏(解釈)ができるのではないのか、と思ったところからスタートする」と語っていた。今年79歳のペーターはおそらく、アーノンクールら諸先輩たちを見つつ、「もっと」を目指していたに違いない。

彼の演奏でもやっぱり別格なのは、バッハのヨハネ受難曲。ペーターは第二稿を使うのにこだわっていたのだけど、何とこれがYouTubeでも聴けてしまう。

言語のように音楽に馴染む

結局のところ、憧れのペーターは指揮者としてどんな指導をしていたのかは、練習では彼のオーラばかりインプットされていてあまり覚えていない。だけどきっと、私は彼の身にしみついた音楽のアーティキュレーションをシャワーのように浴びて、それを自分の手本にしていたところがあったと思う。留学してすぐの期間に、コーラス経験を通してアーティキュレーションという音楽の言語を聴き続けたのは私にとっては大きかった。実際、オルガン演奏でもバロックのアーティキュレーションを会得するのにさほど苦労しなかったのは、コーラス経験があったからだと思っている。

ペーターの音楽の世界に強く憧れたからこそ真剣に歌うことを始め、無事入学の決まったケルン音大でもRIAS Kammerchorを指揮していたマルクス・クリード(Marcus Creed)が指揮する室内合唱団(Kammerchor) に入り、また素晴らしいコーラスの世界を体験させてもらった。カントライでペーターの後に指揮者に選ばれた(ちなみに私も投票に参加した)フィリップ・アーマン(Philipp Ahmann) は、今やハンブルクのNDRChorを経てベルリン放送合唱団やMDR放送合唱団、SWRヴォーカルアンサンブルを指揮するまでになっているし、ペーターの室内合唱団や大学の室内合唱団で一緒に歌っていたアレクサンダー・シュミット(Alexander Schmitt) は今、SWR-Kinderchor(児童合唱団)の指揮者をしている。すごい世界にいたんだな、とつくづく思う。

今、かつての古楽ブームはひと段落しているように思う。だけど、クルレンツィスの原点がピリオド楽器であったことに興味を覚え、私の原点もピリオド楽器でバロックの世界だったことを思い起こす。







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