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【雑】またもや量の話、時々蠍座考

最近カフェでモーニングを食べるのが習慣となっている。さて、ここから毎度申し訳ない、量の話になる。ケチな事を言いたいのでも、ディスるのでもなく、笑い話として読んでいただければ幸いである。

私が行くカフェは全国展開のチェーン店だ。電源があるのがとても嬉しく、シングル席も沢山あるため、仕事をするにはうってつけで、とても気に入っている。
最近通勤ルートを変えた為、そのカフェでモーニングを取りながら仕事をする、というのがルーティンとなった。
しかし初日、そのカフェのモーニングのコーヒーが嘘なように少なくて目を疑った事があった。カップの半分少ししか入ってない。
間違いかなと思いつつ2度ほどスルーしたが、3度目も同じ分量のため、次回こそ「少なくないですか?」と声をかけようと決め飲み始めた時、カップにぐるりと2本の切れ込みが入っている事に気が付いた。
その下の線ぴったりにコーヒーが注がれていたのだ。

なるほど、これはモーニングの適量なのね、と納得したのだが、本日、別のチェーン店に行き、モーニングを頼んだら、なみなみとコーヒーが注がれている。なんじゃ?この違いは?と思いながら中を覗いたら、線はなんと1本。なるほど、この店ではこれが適量か…。

もうこういうのが、私は面白くって仕方がない。
立地が違えば、経費はまるで違う。だから、チェーン店といえども、その場所に合った方法で経営していかなくてはならないだろう。

でもふと思うのが、経営陣はお客が数キロ離れたお店に入るという事を予測しているのか?という事だ。ラーメンの時にも書いたが、同じお金を払ってこの違いというのをどう言い訳するのだろう?
経営サイドの都合は、お客には通用しない。

こういう面白い事象が立て続けに起こると、私の価値観を試されているなと感じる。
人としてどう在りたいのか、仕事としての価値観は?何を大事にして、何を捨てるか?

非常に乱暴な言い方かもしれないが、このカフェの経営陣が人をバカにしているとは思わない。味は美味しいし、居心地の良さもある。何より電源がありフリーWi-Fiという事は、長居を容認している。それだけでも経営は大変だ。経営は需要と供給原理で動いており、その市場原理の中では、時に正しさは意味をなさない。嫌なら自分達がそのループから抜け出すまでだ。そして、好きなら通い続け、嫌なら行かない。そこに無駄な殺生は全く意味をなさない。
あなたの代わりはいくらでもいるが、あなたの代わりにならないものもいくらでもあるのだ。
カフェも山のようにある。
毎度のごとく、選択の自由は我々にある。

話は変わるが、昨日から蠍座満月らしい。新月や満月になるたびに騒がしいなと思いつつ、その狂乱を楽しんでいたりする。破壊と再生と言われる蠍座だが、蠍座の破壊は「ぶっ壊す」のではなく「止める」にある。電池を抜いて、その電池を水の中に捨てる。2度とは使えなくする。再生出来なくする。それが蠍座の破壊である。
ここからどう再生を迎えるのかは、実は周囲環境にかかっている。孤独に強いイメージの蠍座だが、本当は仲間がいてこそ自分の力を発揮する星座である。蠍座の再生力は、あくまでも周囲の環境に支えられており、本当に再生を果たした蠍座の許容範囲は宇宙レベルに広くなる。

蠍座が再生するには、次の射手座や山羊座、はたまた一つ前の天秤座に自分を託すのも手だ。なぜなら彼らは軽やかで柔軟さがあり、他者に対して誠実だからだ。1人でなんでもやりがちな蠍座だが、そこは下手なプライドを捨てた方が復活も早い。

こんな話になるのも、蠍座満月の恩恵か。
また変な話が舞い込んできた。ありがたや。
では皆さん、行ってらっしゃい!


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