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あじわい

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あじわいは、「今を味わう」ための取り組みです。 すべてのことには肯定的な側面が眠っていて、味わい深いもの。 私が、何気ない日常の中から、大切な「何か」に気付くことで、 今を味わっ… もっと読む
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記事一覧

ゴッホ・アライブを見に行った感想#439

兵庫県立美術館にいき、常設展と共に、今日からスタートの没入型展覧会「ゴッホ・アライブ」と…

夏目友人帳と神秘道#438

久しぶりに夏目友人帳見たんだが、第一話のこのシーン最高だな。 今後、神秘道とは何かを説明…

批判的実在論の意義とは何であるのか#437

わたしにとって、批判的実在論とは何だったのであろうか。 僅かながらも、いただいた貴重な命…

現代における宗教の向き合い方について#436

宗教との向き合い方について、それこそ多次元的、多義的に、あらゆる観点から言えることがある…

能を見に行って、「翁」という存在に考えを巡らす#435

1月3日、大槻能楽堂で、「能」の「翁」の演目を見に行ってきた。 それ以来、あの「翁」の存在…

「許し」という名の「愛」と「救済」#434

悔い改めるから許されるのではない。 許されるから悔い改めるのである。 このことを深く考え…

いのちの両睨み#433

今上映されている中村哲さんのドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯りを照らす」。 ここで、初めて耳にした話があった。 それは、哲さんの家族のことについて。 詳細は映画に譲るとして、これがあまりにも衝撃的だった。 この話は、今までも公表されていたものだったのかどうか、私はそこがどうしても気になった。 過去に公開されていたドキュメンタリーや本をいくつか見直し、哲さん好きの友人たちに聞いても、記載や覚えはない。 おそらく今回が初めて我々が知った話ではないかと思う。 今回初め

中村哲さんの映画「荒野に希望の灯りをともす」を観て#432

尊敬してやまない中村哲さんの映画「荒野に希望の灯りをともす」を観てきた。 だめだ。 言葉…

聴くと読むは、話すと書くに劣らない創造的な営み

現代社会は、多くの情報に触れるが、見えないものをよめてはいない。 「よむ」というのは、何…

この世にいること

私は、前世というものがよく感じられていません。 しかし、もし私の命に、何かしらの運命があ…

言葉とコトバ

言葉とは、暗闇の中にライトを持ち、1つの光を当てるようなものである。 ライトの光は、すで…

ことばにのせて

私は「ことば」を書く。 でもこれは誰の「ことば」なのだろうか? たしかに、私から出た「こ…

なぜここまで遠藤周作に惹かれるのか#431

気づけば少しずつ遠藤さんの著作が増えたきた。 しかし、自分が今なぜここまで遠藤周作に惹か…

地球を感じるということ#430

人類が初めて宇宙にいったことは、ディープエコロジーの文脈においても革命的だったようなニュアンスを、実に多くの書籍や映像でみる。 それは、地球を初めて客体化してみることができた。 地球の全貌を見た瞬間、地球が1つの生命システムのようだと。 ガイア理論は本当にそうだったんだと。 しかし、本当にそうなのであろうか? 私はこれが逆な気がしてならない。 ディープエコロジーにおいては、むしろ悲劇な気がしてならない。 当たり前だが、宇宙から地球をみることと、地球を感じることは