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【エッセイ】青い地球の広い世界で 小さな恋の思いは届く と歌い続ける強さが希望

 どうも、じゅんちちです。お久しぶりです。

 もうnoteは記事を書くのをやめようと思ってたんです。人の記事を読むだけにしよう、と。
 僕の記事なんてnote世界で人気が出るような耳触りが良くて前向きでアッパーな記事でもないし、なにか専門的な知識や経験を提供するような記事でもない。他の人と交流することもない。えぇ、コミュ障ですから。

 正直に言えば、記事を書いたところで誰にも届かないし、むなしいだけで時間の無駄だなと思ってました。

 それなのになぜまた書いているのかというと、もちろんそれにはきっかけがあります。朝寝坊して遅刻間際の登校中に曲がり角で女の子にぶつかったのがきっかけで恋をするのと同じように。あるいは、お気に入りのチノパンのボタンが腹の肉の圧力に負けて吹っ飛んだのがきっかけでダイエットを決意するのと同じように。

 それは、わりと前に書いた記事をフォロワーでもない方がスキをしてくれたからです。なんでなのかよくわからないけど。

 数は少ないけどだれかが読んでくれた、誰にも届かずにネットの大海の藻屑となったわけではない、そのことが単純に率直に嬉しかったんです。

 たとえ一人だけだとしても誰かのところに届くのなら、書いてもいいような気がしたんです。ガラス瓶に手紙を入れて、海の向こうの誰かに届くのを願うくらいの気持ちで書こうと思いました。顔も知らない、名前も知らない、相手も僕のことを知らない誰か。そんな誰かのもとに僕の言葉が届いたら、それはなんだかちょっと素敵なことのような気がしたんです。


 僕は小説の新人賞に応募を続けている人間です。基本的には書いた小説をネットにアップしないので読者はいません。新人賞に出したところで最終選考に残ったこともなく、講評をもらったことがありません。

 だから僕の書いた小説は誰のもとにも届いていない、それこそただの紙屑を生み出しているだけのような哀しい気持ちになることがよくあります。

 それでも僕は小説を書くことをやめられない。本当のことを言うと、何度か心が折れかけて筆も折っちゃおうと思ったことはあります。でも、なんだかんだ続けられています。

 いつか誰かのもとに届くといいな、と思います。一人だけでもいいから、誰かが僕の小説を読んでくれて、少しでもなにかを感じてくれれば。
 草原を吹き抜けた風がセイタカアワダチソウを揺らすように、月明かりがお腹をすかした野良猫の寝顔を優しく照らして幸福な夢を見せるように。

 それだけで僕は書き続けられる気がしました。今はまだ届いていないけど、いつか誰かのもとに届くといいなと思います。


 今回の記事のタイトルですが、お気付きの方も多いと思います。モンゴル800の『小さな恋のうた』の歌詞からです。

 この曲、僕の世代ドンピシャなんです。僕が中学2年生、青春ど真ん中の時にリリースされた曲です。高校時代に友人とバンドを組んで、この曲をコピーもしました。カラオケに行ったら今でも必ず歌います。音痴ですけど。歌い出しでいきなり音程外しますけど。

 僕はもう20年以上、音程を外しながらも、「青い地球の広い世界で 小さな恋の思いは届く」と歌い続けています。音程外したって恋の思いは届くはず。格好悪いから届いてもフラれますけど。それでも届くと信じて歌い続けています。その信じる気持ちの強さは、純粋でまっすぐで、青春ど真ん中の強さです。

 届く、届くはず、絶対に届く。恋の思いだけじゃなく、僕の小説もいつか誰かに届く。そう信じて書き続けます。青春ど真ん中の気持ちの強さで。


 ちなみに僕は音痴なのでボーカルはやらせてもらえずにベースをしていました。コーラス用にリードギター、ドラム、僕の前にもマイクは置かれていたんだけど、僕のマイクだけ電源を入れてもらえませんでした。
 中居くんへの勝手な親近感。
 シェキナベイベー。ロックンロール。

 なんかまとまりもなく、面白いエピソードトークもできず、ただただ気持ちを吐き出すだけの記事になってしまってごめんなさい。ロックンロールに免じて勘弁してほしい。

 それではまた。

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