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小説を書いてみようという気持ちが、戻ってきた。

この間体を壊してから、文学や小説から少し距離を置きたい気持ちが強かった。
近づかず、触れずにいた。
村上春樹の新刊もまだ途中で止まってる。

けれども、先週から、少しずつ小説を読み始めたり、小説雑誌のバックナンバーをパラパラめくったりするようになり、心が回復してきたのを感じている。

お金も払ってるしなぁと、思って、
ずっと放置してあった小説講座に参加したら、
自分がすごくフラットな気持ちで受け止められていることに気づいた。

いつなれるかも分からない「小説家」というものに憧れて、
みんな夢を持って、小説を書き始め、
もう数年というベテランもいれば、まだ数か月~1,2年という人もいる。

先生に各人がその出来を色々指摘され、指導されているわけだけど、
なぜに、これほどまでに、
人は小説を書きたいって思うんだろうって、素朴に興味深く思った。

だって、世の中には小説を書きたいと思う人を探したら、
ごくまれなんじゃないだろうか。

読むのが好きだという人の方が、まだ多いだろう。

小説を書かなくても、人間生きていけるし、
他にいろんな趣味もあれば、
自己表現の方法、自己実現の方法も、いくらだってあるのに、
なぜ、これほどまでに、小説家になりたいと思ったり、
小説を書きたいと思うのか。

その動機や理由も、おそらく小説家を目指す人の、
人の数だけあるんだろう。

で、私が思ったのは、
これは焦って追い求めるものではなくて、
もう趣味の、好きだから書いているって域でいいんだと。
そういうものだ、と。

だって、誰かに頼まれて書いてるわけじゃないし、
それをしなければ、明日の衣食住に困ってしまうわけではないし、
ただ自分がしたいから、それをしているわけで。

そう考えたら、好きものの世界だよなあと。

「あなたも好きよねえ」という、好きものの世界。

自分の人生の時間は限られていて、
その限られた時間で、
他の趣味や自己表現ではなく、小説に時間を使おうとしている。
ならば、
自分が満足して、
自分がこれがいいと思える世界観が書ければ、
自己満足といわれようが、それだけでもいいんじゃないか、と。

そんな風に、ふわっと思った。

ちょっと前の自分なら、そんな風に肩の力を抜いて思えなかったし、
そんな発想も浮かばなかった。


体力も気力も、日常生活の安定をはかることで手一杯なところもあるけど、
また表現としての小説という方法を、
少しずつ試していきたい、
そんな風に気持ちが持ち直してきた。

結局、好きなんだなあと、思った。

マイペースに、またリスタートします。




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