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かつての上司との今の関係

たまに電話をくれる人がいる。

LINE通話ではなく、電話だ。
それは過去に一緒に仕事をしていた私のかつての上司。

私の職歴の中で異彩を放つ、観光地での接客業をしていたときにその人とは出会った。娘と父ほどに年齢が離れているのだけれど、いや多分だからこそ、その人は私をとても可愛がってくれていた。そしてその人との縁は、仕事を辞めて5年ほど経つ今でも途切れていない。

その時に仲の良かった同年代の人たちとは、結局もう随分連絡を取り合っていないことを考えると、その人と繋がりがまだあるということは、けっこうすごいことだと思う。

だってもう用事なんてないのだから、どちらかがちょっと連絡をしなかったり、折り返さなかったりしたら、いとも簡単に廃れていってしまう関係なのだ。それが、これだけ長い間続いている。

コロナ騒動の前には、年に2、3回は、その人に誘われて、観光地で働いていた警備のおっちゃん達やお掃除のおばちゃん達と飲みに行っていた。1人だけ年齢層が違っていて、傍目から見ると不思議な組み合わせだったと思う。たまに二次会でカラオケに行くと、年代の違いを余計にはっきりと感じた。私も自分の年代よりも前の山口百恵さんや中森明菜さんの歌が好きだったりするのだけれど、みんなが歌うのはそれよりももっと前の歌で、そこでしか聞いたことがないような歌がほとんどだった。それもなんだか面白かった。一種の異文化交流だ。

コロナでこんな状況になってしまって、もう随分とその人にも会っていない。でも今でもたまに電話をしてきてくれ、「コロナがおさまったら、真っ先に会いましょうね」と、合言葉のように毎回言い合っている。私にとってその人は、今では最年長の友人のような存在だ。

その人は一人暮らしが長い。そして数年前、脳梗塞で倒れ、入院していたことがある。それから体調にとても気を配っているようだけれど、私はいつも心のどこかでその人のことを案じている。

年齢差があっても、友人にはなれる。
でも年齢差があると、これから先どれくらい一緒に時間を過ごせるだろうかということに、少し意識的になる。それは、ほんの少し苦しい。

でも本当は、相手が誰であれ、同じなんだよなとも思う。
若くても、今この瞬間は健康だと思っていても、長生きを保証されている訳ではない。私だってそうなのだ。いつ何かあるかなんてわからない。本当は。

そう思うと、結局いつだって「今」しかないんだよな、というありがちな結論になるのだけれど、でもやっぱり、それしか行き着く答えがないんだと思う。できることって、「今を大事にする」しかないのだ。

電話があるから、会えなくても話はできる。
ちゃんと交流はできる。

コロナなんてつまらないもののせいで、大事な関係が損なわれたなんて思いたくはない。だから今できる最大限のやり方で、今ここにある縁を大事にし続けたいなと思う。




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