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わたしと1・0思考

好きなものと嫌いなものがあります。
そこそこのものはほぼ無いです。

好きか嫌いしかないです。
あ、でも好きの中には大好きとかそういう機微はあります。嫌いも同様です。

この世から無くなればいいのにって思うほど嫌い、わたしの目に触れなければ存在してもいいけど嫌い、みたいな?

モノでもコトでもヒトでも同じです。

好き or 嫌い

極端な考え方しか出来ません。
しかも、めんどくさい事に

好きなものが嫌いになることはあっても、
嫌いなものを好きになることはほぼ無い

です。

1度嫌いになってしまうと、その『モノ、コト、ヒト』にどんなに好ましい点を見出しても、「でも〇〇だから嫌い」になってしまう。

無関心とか、興味が無いとかなら良いんです。でも、わたしの場合【嫌い】なんです。明確なHateの感情があるんです。

わたしの発達障害の傾向のひとつです。
こだわりが強く、好き嫌いが激しい。

で、この傾向のなにが困るって、『ヒト』を嫌いになった場合です。
わたしは30を超えた大人なので、そりゃあもちろん嫌な相手とも普通に会話せねばなりません。
でも、それがなかなかに困難なのです。

喋っている時は【無自覚に】ニコニコヘラヘラしているのですが、帰宅後にどっと疲れが出て、相手に対する呪詛で頭がいっぱいになります。
たとえ相手が善意でわたしになにかしてくれていても、それを理解した上でやっぱり嫌いなので、呪詛にまみれます。

自分で自分が厄介でめんどくさくてヤベェやつだなってのはわかってるんですが、理解できるからといって、治せるわけではないんですよね。
1or0なんです。
好きor嫌いなんです。

嫌いなモノ、コトからは逃れられても、ヒトからは逃げられない。
よく、『人間関係の断捨離』とか『人生のステージが変われば交わる相手も変わる』とか自己啓発本に書いてありますが、わたしとしては「んなこたぁわかるから、その方法を教えてくれ!簡単に断捨離できたら苦労しねぇわ!!!」って感じです。叫びたいです。

そもそも、人生のステージってなんやねん。
それそのものが、わたしの苦手な『曖昧な表現』です。

例えば、今、わたしは演劇が好きで、藤枝市で社会人劇団を運営していて、設立当初から様々な方に関わっていただき、今年で10年になります。
関わってくださった方全てに感謝があります。
でも、感謝すれども、嫌なもんは嫌!みたいなことってあるじゃないですか。
嫌いなヒトからもらう10万円と好きなヒトからもらう10万円、同じ使い道したって、心持ちが違う、みたいな。
有難いし、嬉しいし、助かる、けど、裏を勘ぐってしまう。それが、とても心を疲弊させる。みたいな?

例えば、わたしはずーーっとポケモンが好きで、色違いでピンクになるポケモンを粘着気味に集めてるんですが、「個体値厳選してたらピンク孵化したからあげるね」っていって好きなヒトからもらったポケモンなら、惜しみない愛で可愛がれるけど、嫌いなヒトからもらったポケモンには(あ、お返ししなきゃ。なんか、レアな色違いや孵化余り居たっけかな…)みたいな、過剰な気遣いをして疲弊する。みたいな?


これ、なにが問題って、相手は1mmも悪くないところなんですよね。
わたしが勝手に嫌って、勝手に疲弊してるんですよ。
コントかよ。
でも、嫌いなのも疲れるのも事実で、そういう相手とは距離を置きたいんです。
感謝してるし、してもらって嬉しい気持ちはめっちゃあるんです。でも、それに対して返しきれないんです。

安心感がないんです。
嫌いなヒトは、きっと、わたしを許容しないヒトなんです。
好きなヒトは、わたしがなにをしでかしても、叱ってくれて、許容してくれて、一緒に解決してくれるという安心感があるんです。少なくとも、そうしてくれたという実感がわたしのなかにあるので、好きなんです。
許容しないヒトには安心感が無いので、常に正解を考えて対峙しないといけないので、叱責されなくても不安だし、緊張するし、疲れるんです。

好きでも嫌いでもない中間。どうでもいいとか興味が無いとか、そういう気持ちになれれば、わたしももっと生きやすくなるんでしょうか?

モノ、コト、ヒト

今回はヒトのことをピックアップしましたが、モノやコトへの嫌悪感も、人生にかなり支障をきたします。困る。

それについてはまた後日。。。

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