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へらへら笑ってろ(双極性障害の私)。<16>身体と脳と心の声をきく。

主治医に、「今週は命令されたんだから仕方ない、くらいに思って、頭を使おうとせず、ぼーっとしてて下さい」と言われた。頭を働かそうとして頭が働かなくて、結果的に呆然としてるのは得意なんだけど、自主的にぼうっとするのは苦手。はて、どうやって過ごそうか。

11年前の今日の、こんな投稿をFacebookの「過去のこの日」が表示してくれました。自分でもすっかり忘れていたことを思い出させてくれる、この機能、いいですね。

それにしても、私、生真面目でしたねえ。動かないアタマを動かそうとしていたなんて。でも、不自然だし、非効率的。そのことに気づいていなかったんですね。

8月半ばくらいから、いい感じが続いている私。ずっとがんばっているか、といえばそんなことはなくて、「がんばること」、とくに「頑張ること」は封印し続けています。漢字で「頑張る」と書くと、なんだかつらいというか、悲壮感がありませんか?

むしろ、いまの私は「いかにして無理しないか」に神経を注いでいます。朝型になって、夜は考えごとはせず、さっさと寝てしまうのも、残業しないのも(朝、出勤前や休日に持ち帰り仕事することは、当たり前になっていますが、夜遅くまで職場に残って働くより、はるかに効率がいいのです)、すべては無理しないで、自然に生きるためです。

そして、これが、いちばん今日書きたいことなのですが、自分とよく対話するようになりました。いま、どうしたいの?と。
ひとりの人間を形成しているのは、身体と脳と心(感情)なのだと思いますが、私がいちばん話を聞くようにしているのは、身体の声です。我ながら、すごく労わっていると思います。よく寝て休ませ、バランスよく食べて、栄養を与え、必要以上に疲れさせない。

次が脳。これは、情報量のコントロールです。夜、考えごとをしないと書きましたが、情報量もセーブしています。寝床で、スマホをいじらないことにしているのは、ブルーライトをカットするためというより、必要ない情報を、寝る前の疲れた脳に処理させないためです。
ちなみに、仕事の休憩時間中も、私は極力スマホを取り出さないようにしています。代わりに、スターバックスで買ったタンブラーにココアを入れて、職場のすぐそばの公園で、ぼうっとしています。空を見上げ、いまの季節なら公園の紅葉を見ながら、気持ちよさを感じるようにしています。自然を愛でることは、いいインプットだと思います。

最後に心の声ですが。これを聞くときは、疲れているとき、ストレスを感じているときですね。どうしたいのか、どうすれば平安を保てるのか、心と相談します。それ以外のときは、身体と脳の声だけ聞いていれば、上手く回っている気がします。
あ、ポジティブな声も聞いていました!毎日の習慣になっているモーニング・ページ。これを書く時間は、存分に心の声を聞いています。そういう時間を持っていることで、私の心はちゃんと満足しているようです。

以前の私は、自分の生きる価値すら疑っていました。そのころのことをふりかえると、ほんと、よく「頑張って」いたなあと思います。自分を責め続けるなんて、真面目過ぎ。あまりいい真面目のベクトルではないでしょう。
でも、そうやって自分を責めることで、当時の私は、逆に心の平安を保っていたのでしょう。そうすることが、目先の利益になっていた。だって、自分を責めてさえいれば、それ以上考えなくても済みますものね。

人間は、自分にとって利益になることでしか動かない。最近つくづくそう思います。だからこそ、本当に利益になる=「実際に」「無理なく」「自然な形で」ハッピーになるために、これからも、自分との対話を大切にしたいと思います。よく言われることですけど、死ぬまでつきあっていくのは、私という存在。だったら、仲良くして、一緒に楽しみながら生きていきたいです。





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