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ひとり飯

普段、自分のためだけの時間をどれくらい取っていますか?
誰かや何かのために使うのではなく、自分のため【だけ】の時間。

瞑想を毎日の習慣としてから8年余り。
最初は5分座るのすら長く感じ、しかもその5分も次から次に絶え間なくあふれ出る雑念に翻弄され、さらに「いかんいかん、これでは瞑想になっていないではないか・・・」という雑念が湧くという繰り返しでした。

ある時、いつものように雑念まみれで座っていた時のことです。
ふと、「今ここでこうして座っているこの瞬間は、他ならぬ自分のためだけの時間」なのだという雑念ならぬ感謝の念が湧いて来ました。

絶え間なく雑念が湧いてくる自分と一緒にいる。
そんな感覚が生まれてから、瞑想の時間も10分、15分、30分と長くなって行き、時には60分座るようにもなりました。

それに伴って、瞑想の時間を確保するため、平日は朝5時に起きることにしました。
朝5時に2階の寝室で起き、ベッドで身体を伸ばす。
寝室を出てトイレに行き、顔を洗う。
リビングに降りてコップ1杯の冷たい水を飲む。
寝室に戻り瞑想をする。
ダイニングに降りて朝食を摂る。
歯を磨き、身支度を整え、仕事の準備をする。

5時に起きると1日が長くなるので、時間にもゆとりが生まれました。
時間があるので、毎朝の一連のルーティーンもひとつひとつの所作を出来るだけ丁寧に。
座ってやるのも瞑想ですが、今ここに意識を向けながら行なう朝のルーティーンも私にとっては瞑想になりました。

自分だけのために時間を使う。

そう考えると、朝に限らず日中でも、自分ひとりの時には、自分だけのために使える時間を創り出すことは割と簡単な事だと気づきました。

ひとり飯はまさにそう。
まさに、自分のためだけの時間です。

前後のアポを調整し、ランチをピークタイムを外して食べられるようにする。

お店に入って席に案内されたら、「お決まりですか?」に「少しメニューを見させてください」と返して、しっかりメニューを見る。

「自分が呼んでる」メニューと、「自分を呼んでる」メニューの折り合いがついたら、お店の人に声をかけオーダーする。

料理を待つ間、お店の様子や他のお客さんをゆっくり観察したり、聞こえてくる話し声に意識を向けて待つ。自分の呼吸にも意識を向ける。

料理が運ばれて来たら、まず盛りつけを見て味わい、立ちこめる香りを味わう。
素材、生産者、流通に関わった人たち、そしてお店の人たちに感謝を込め、小さな声で「いただきます」。

とかやっていると、
いかん!もうこんな時間だ!!
料理をガツガツと一気に胃袋に流し込む。

食事は喉ごし。
雑念ふっ飛ぶひとり飯。

ごちそうさまでした。

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