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小説「鎗ヶ崎の交差点」⑧

 夏の初めに、僕の好きなDJが海外から来日した。イベントは渋谷のスペイン坂にある「ラファブリック」と言うクラブで開催された。フランスに本店がある老舗のクラブで、当時は華やかなハウスミュージックをかけるDJのイベントを多く開催していた。
 この頃、僕のDJはヒップホップやR&Bからハウスミュージックをかけるようになっていた。
 もちろん、ずっとかけていたジャンルが嫌いになったわけではなかった。しかし、西麻布や六本木のクラブの週末のパーテイーは四つ打ち主体のものが多くなり日本人アーテイストも頭角を表すようになっていた。
 そもそも僕はギャングスターのような格好をしていたわけでもなく、大きな流行という潮流の中でDJを始めたのがきっかけで、人前でDJをするチャンスが増えるならジャンルを変える事に抵抗はなかった。それにハウスミュージックのノリやファッション性も自分に合っていると思えた。
 来日するDJはフランス人DJだった。ハウスにとらわれずジャズやヒップホップなど多彩な曲をミックスするスタイルが好きで、いつか見に行きたいと思っていたアーテイストだった。
 僕は知花を誘った。しかし「一緒に行こう」と言うと訳知り顔で「知り合いが関わっているからとフリーで入れるよ」と言われた。  
 僕はまた自分との差を感じながら、そんな態度は噯にも出さないようにした。それでも、一緒に行けるならいい。好きなDJの音を彼女と聞けるだけでいいと。しかし知花は当たり前のようにこう続けた。
「ゲストとってもらっておくね。でも、私もう他の友達と約束してるから現地で会えたらいいね」
 すぐに佐々木や他の大人達の顔が浮かんだが、僕は何も言う事が出来なかった。機嫌を悪くしても、それがただの嫉妬だと思われることはわかっていたし、自分の持っている知花に対する劣等感を知られたくはなかった。
 仕方なく僕は数少ない音楽仲間の鈴木と一緒にクラブに向かった。鈴木は新宿にある洋食屋の三代目で大学で出会った。当時は一緒にイベントを主催していたが、その頃はすでに家業を継いでDJは辞めていた。しかし僕にとって音楽の趣味が合う唯一の友人だった。そのフランス人DJを教えてくれたのも鈴木だった。
「ステファンのDJが日本で聴けるとはな」
 僕らはクラブの前にあるスペイン坂沿いのチェーンのうどん屋でステファンの登場を待っていた。
「まさか来日するとはね」
「てか、ゲストとってくれたお前の彼女って何者?」
「ああ。まあモデルとかやってる感じかな」
「なるほどね。その人脈ってことか。で、今日は来ないのか?」
「来るんだけど他の友達といるんだよ」
「なんだよそれ。まさかモデルだからVIPルームが定位置って事?」
「うん。まあ」
「感じ悪いね。それって本当に彼女かよ」
「仕方ないよ。本当なら、俺がDJしてるくらいじゃないといけないんだから」
 僕は自分で言っていて情けなくなって、うどんが喉を通らなくなった。
「そんな暗い事言うなよ。悪かった。てか、お前ならいつかなれるよ。彼女のことは忘れようぜ今日は。せっかくいいDJ聴けるんだから」
「ああ。そうだな」
 知花のことを気にしないでいられるはずがない。しかも僕はクラブに入れてもらい、彼女はVIPルームにいる。本当はゲストなんてとってもらっている場合ではない。それに、また嫌な光景を見てしまうかもしれない。なんで行く事にしてしまったのだろうか。
 クラブに入る時間が近づくにつれ帰りたくなった。来なければよかったと。しかし忙しい時間を割いてまで来てくれた鈴木に今さら行かないとは言えなかった。
「お、そろそろ時間だ」
 僕達はうどん屋を出て、正面のラファブリックの入り口に向かった。うどんはほとんど残してしまった。
 クラブの前にはすでに外まで行列ができていたが、僕達はその横をすり抜けた。しかし全く優越感は覚えなかった。ゲストで入れるのは知花のおかげで・・・いや、知花の周りの大人のおかげなのだ。
 エントランスでスタッフの女性に名前を告げた。リストを覗くと、僕らの名前の書いてある枠は佐々木のゲスト枠だった。そしてそこには知花の名前もあった。僕は暗澹とした気持ちを抱えてクラブに入った。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。