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小説「素ナイパー」第11話

 リンカーンの室内ライトで気絶しているマーカスの顔を見た時、直哉は他の標的にはない親近感を覚えた。

「殺すよりも生きたまま確保する方が難しい。憶えておけ」
「え?ああ。みたいだね。父さん。こいつ純血かな?」

 マーカスの腫れぼったい瞼にはアジア圏の民族と同様の蒙古ひだがあった。よく見ると皮膚の色も薄く純粋なアフリカ系の黒人には見えなかった。

 「違うかもしれないな。この国は様々な人種が入り乱れている」

 すれ違う車や人に目を配りながら注意深く運転しながら淳也が言った。

 「東洋系が混じるってこともあるのかな?」
 「ないとは言えないな」
 「そう」
 「気になることがあるのか?」
 「いや、こいつもいろいろ大変だったのかなってね」

 眠るように座席に横たわるマーカスを見つめながら直哉は少し昔を思い出していた。
 小学校の頃ハーフである直哉はイジメにあった。それはごく短期間のもので直哉が日本語を喋れると気付くとすぐになくなったし洋介と一平にも助けられた。
 しかしその時の傷は心の中に残っていた。殺し屋であるだけではなく、自分には見た目と言うハンデもあるのだと認識させられたような気がした。
 そして直哉はその時の記憶をマーカスに重ねていた。日本よりももっと差別の厳しいアメリカ社会での彼の苦労を想像し同情していた。

 ミッドタウン。リトルイタリー。ウオール街を抜けて、直哉の乗ったリンカーンはニューヨークの最南端のバッデリーパークに到着した。
 車を止めると直哉と淳也は用意してあった大仏顔のゴム製のマスクを被った。中国人達に自分達の顔を見られないためだ。車を降りると数人の中国マフィアが待ち構えていた。

 「中にいる」 

 淳也がマフィアの中のボスらしき人間にそう告げた。子分のマフィア達は直哉達の容姿を見て大笑いしたいのを我慢していたがそのボスらしき男は全く動じていなかった。

 「ありがとう」

 満面の笑顔で言うとその後すぐに冷徹な表情に戻りマーカスの乗る車を見つめた。

 「それじゃあ」

 車のキーを中国マフィアのボスに渡し直哉と淳也はそのまま公園の中に歩き出した。東側に見える自由の女神に向かって大仏の被り物をして。

 後ろでリンカーンの扉が閉まる音がした。直哉はその音を聞くと振り向いた。マーカスにこれから訪れる運命を考えると、どの標的にも持ったことのないような感傷的な気持ちになった。
 被り物の大仏の表情はもちろん変らずアルカイックスマイルのままだったがその内側には切ない表情が隠れていた。そんな二人の大仏を訝しげな表情で自由の女神が見つめていた。

 マフィアから離れてマスクを外して海に投げ込むと涼やかな風が頬をかすめた。無数のコンテナを乗せた貨物船の汽笛はここ数カ月で初めて直哉に異国の地にいるという実感を生んだ。

 「戻るぞ」

 厳しい表情をアルカイックスマイルのマスクの下に隠していた淳也に言われると直哉は切なさを押し殺して歩を進めた。
 何故か貨物船に積まれたコンテナに後ろ髪を引かれた。例えばいつか見た映画のようにコンテナの中には数百人の夢の国に救いを求める移民がいたら?不法入国である事を隠しながら最低賃金で働く彼らの中には身体を売る者も出てくるだろう。
やがて親が誰であるかもわからない血の混じった子供が生まれる。どうにか戸籍を与えられてもその子は迫害を受けるだろう。自分やマーカスと同じように。

 それが誇大妄想である事は理解していた。このニューヨークのど真ん中で今時コンテナに人間を積み込むなんてことはありえない。しかし幼い頃に見た犯罪シンジケートを描いた映画の光景は今でも直哉の心に鮮明に残っていた。
 自分は移民の子ではない。彼らの物語と自分の生まれは比べようがない事は理解していた。だが同じ血の混じった境遇のマーカスの末路にやりきれない世の中の不条理を見た気がした。人間の運命は、宿命は変えられない。そして、変えれない不条理な運命に加担した自分は一体なんなのだろうか?

 切なさを帯びた風を受けながら父の後ろを歩くと不意に柔らかな香りが鼻をついた。その香りには覚えがあった。
 しかし直哉はさすがに気のせいだと片付けようとした。
目の前に現れた人影を視認してもこれは夢だと思った。それほど唐突で現実感のない再会だった。

 「知子?」

 何度思い描いても決して口にはしなかったその名前を数年ぶりに呼んだ時でさえ現実感は曖昧だった。

 「え?」

 しかし驚きと共に発せられた懐かしい声を聞いた時、彼の中にあった切なさは一瞬にして消え、湧きあがる喜びが胸を叩いた。
 そして直哉は殺し屋らしからぬ鈍感さと無防備さでとてつもなく深い穴に落ちていった。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。