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小説「鎗ヶ崎の交差点」⑨

 クラブ内は人で溢れていた。メインのステファンの時間の前と言う事もあり、フロアもかなり盛り上がっていた。
 僕は知花の姿を捜した。佐々木といる姿は見たくなかったが、彼女に会いたくないかと言われればそうではないし、もしも一人でいたなら一緒に飲んでステファンのDJが終わった時に外に連れ出そう。そんな小さな可能性に縋ろうとしていた。しかし、青山のイベントの時と同じように。知花を見つけることはできなかった。VIPルームも奥にあって、中の様子を見る事はできなかつた。
「おい。ステファンだ」
 すると鈴木がクラブの壁を指差して言った。彼はDJブースに向かい梯子を昇っているところだった。このクラブはDJブースがゴンドラのように空中に浮かんでいて、DJは梯子を登ってブースに向かう必要があった。
 ステファンが梯子を登る背中を見上げながら客がフロアに流れ込んできた。そしてDJが始まると僕達は客の渦に飲み込まれ熱狂に包まれた。
 音楽は最高だった。しかし僕は心から楽しめる事なく俯瞰でフロアを見つめていた。本当はあのDJブースに立ちたいのに見下ろされている自分。そんな自分の状況が情けなく、納得いかなかった。いつになったらあの舞台に立てるのだろうか。本当にいつか立てるのか。大学を出てすぐに成功するはずだったのに、まだ自分は踊らされている。踊らせないといけないのに。
 音楽を楽しむことなくブースを見上げながら人の流れに身を任せていると、見覚えのある男がシャンパンのボトルを持ってフロアに現れた。佐々木だった。
 佐々木はシャンパンを周りの客に振る舞いながら女に囲まれていた。そしてその傍には知花の姿があった。知花は佐々木に肩を抱かれて楽しそうに笑っていた。
 僕は人ごみをかき分けて彼女の元に向かおうとした。肩を抱かれている姿を見て冷静さを無くしていた。強引に周りの客を押しのけて、時折聞こえる僕への怒号も無視して必死にもがいて人の波を泳いだ。しかし僕は沈みかけの船のようにその波をかき分けることはできなかった。どんなに進んでも知花との距離は縮まらなかった。
 やがて僕は泳ぐのをやめた。そして僕の事を気に留めずに楽しそうにしている知花を眺めながら惨めさに打ちひしがれた。近づいたところで自分は何を言うつもりだったのか。僕は知花の彼氏でもなく、不甲斐ないフリーターだ。
 知花との距離は、この時の僕と彼女との差を如実に表していた。僕は知花と言う島にたどり着くためのエンジンを持っていなかった。彼女は優雅な島の上で王様の隣に座っていると言うのに。
 その場の辛さに耐えかねて、踊り狂う鈴木の手を強引に引っ張ってクラブを出た。
「なんだよ。いいとこだったのに」
「悪い。ちょっと体調悪くてな」
 すると、鈴木が察するような表情を浮かべた。
「そうか。まあいいや。楽しかったよ。彼女にもお礼伝えといてくれ」
「ああ」
 立ち去る間際、鈴木が僕の肩を叩いた。
「なあ。俺は信じてるよ。お前もいつかなれる。ステファンみたいに」
「ありがとうな」
 鈴木の優しさは助けにはならなかった。むしろ惨めさが増しただけだった。
 タクシーで帰る金もなく、一人で深夜の渋谷を歩いた。いつかこの情けない格差が埋まる日がくるのだろうか。今の自分のしていることが認められて夢が叶って、知花が側にいて。そんな日はいつになったらやってくるのだろうか。
 答えのない問いを頭の中で繰り返していると、いつの間にか渋谷を抜けて246号線に辿り着いていた。深夜の環状線は人通りも、車通りも少なく急に孤独を感じた。ただ、この時の僕にはその静けさが唯一の救いだった。好きな女性に気づかれもせず、憧れの舞台に立つこともできず、タクシーで帰る金もない。こんなあまりにも悲惨な状況で誰かと一緒にいる気にはなれなかった。
 暗い道路を歩く中で僕はずっと知花のことを考えていた。今の自分では駄目だとわかってはいたのだ。彼女に出会ってから音楽にのめり込むことができなくなっていた。会えない時も彼女のことばかりが頭に浮かんでしまって何にも集中できなかった。
 こんな事をしている場合ではない。でも、知花と会えなくなると思うと空寒くなり連絡が来ると喜びが溢れた。知花を失いたくない。しかし彼女がいたままでは自分の夢を叶えられないかもしれない。いやどれも言い訳だとわかっていた。夢を叶えるために必要な努力をしていない男の言い逃れだと。
 不意に246号線に車も通らなくなり、人通りもなくなり、エアーポケットのような瞬間が訪れた。そして無機質な姿を見せる通りが永遠に続くように感じた時、僕は見えない人生への不安と情けなさを吐き出すように泣いた。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。