見出し画像

小説「鎗ヶ崎の交差点」⑥

 理想の女性を手に入れたとは言え、たった一回のDJが上手くいったくらいで表舞台に出られるほど、音楽の世界は甘くない。
 青山でのDJ後、僕の元に他のイベントの出演以来はなかった。佐々木からも何も連絡はなく成功者の集まる村の一員になることはできなかった。
 僕はつまらないコールセンターのアルバイトをして、土曜日はカフェでDJをするという日常を相変わらず繰り返していた。しかし生活は満ち足りていた。あの日以来、知花と頻繁に会えるようになったからだ。
 土曜日のDJの時は、カフェに来てくれてその帰りは彼女の家に行き時間を過ごすようになり、他の曜日も車で二人で出かけるようになった。知花の撮影が六本木や、表参道で終わったときは迎えに行き二人で流行りのカフェやバーに行った。
 煌びやかな街の中で、助手席に彼女を乗せて走る瞬間はいつも流行りのヒップホップのPVの中にいるようで自分が誇らしかった。
 考えてみればこの頃から、僕らは夜に顔を会わせることが多かった。陽の光を浴びて昼間の街を歩く機会はなぜかほとんどなかった。しかしそんな事を気にすることもなく、僕は知花に夢中だった。モデルをやっていて美しい彼女。不甲斐ないDJの自分に現れた唯一の希望だった。
 しかし、僕らは付き合おうと確実な言葉を言い合って関係を始めたわけでもなく、同い年なのに大人びた知花の振る舞いに不安を覚えることも多かった。
 時折、友人が働いているというバーやクラブに連れていかれると知花は僕に大人達を紹介してくれたが、彼らは僕に見向きもしなかった。ただ若いだけで、仕事や金の話ができない僕に誰も興味は示さなかった。
「何やってるの?」
と聞かれても、DJと胸を張って言うことができず、ましてやフリーターとも言いたくない。僕はいつも自信のない笑顔で誤魔化して知花が大人達と話終わるのを待っていた。
 そんな時は自分の不甲斐なさを感じたし、なぜ彼女が僕と一緒にいるのかよくわからなくなった。いつか知花は僕の元から去ってしまうのではないか。今は小休止程度に僕といるだけなのではないか。
 とりわけ彼女が時折見せるどこか違う未来を見ているような表情を垣間見た時は不安になった。車の助手席にいる時や話している時に、その大きな瞳が僕を見ていないと感じると何かしなければと焦りばかりが募った。
 知花と一緒にいる時間は楽しい反面、辛さも伴っていた。いつも自分の男としての足りなさを違う何かで補わなくてはと必死だった。僕は知花と会う度に自分の情熱と気持ちをどうにか伝えようと夢の話をして、最大限の優しさを絞り出して強く彼女を抱いた。そんな幼稚な方法しか、知花の心をつなぎとめる術を持っていなかった。
「この部屋、何もないよね」
 土曜日のDJを終えた明け方、僕と知花はソファベッドの上にいた。女性らしくない無機質な部屋の中で、僕はいつものように自分のDJの夢を語り終えると知花に聞いた。すると知花は自分の部屋を感情のない瞳で見回して言った。
「いろんなところ行きたいからあんまり物は置かないようにしてるの。ずっとここに住むわけじゃないし」
 知花にとってこの部屋は通過点でしかない。だとしたら僕も彼女の中でそう言う存在なのかもしれない。
「確かにいろんなところに住みたいよね」
 僕は自分の不安を隠して知花に同意したふりをした。頭の中には佐々木の顔が浮かんでいた。人脈も地位も金もある余裕のある男。あんな男ともっといい生活をする為にこの部屋はわざと簡素にしているのではないか。焦りと不安を打ち消そうと僕はもう一度知花を抱きしめた。
「どうしたの?」
「いいだろ。もう一度」
 ベッドの中の手管にも自信がなかった。しかし、回を重ねることでしか知花に自分の存在を誇示することができなかった。僕は未熟で若かった。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。