失敗をデザインできるのか?

どうやら人は痛い目にあうまで
本当に何かを体得することはない
らしい。

僕は昼職(?)では広告会社の営業コーチをしている。
今日、入社後4ヶ月の教え子に
「やっとじゅんさんの言ってたことがわかりました」
と言われた。

僕は「仮説営業」というものを開発して教えている。

超簡単に言うと「お客さんはこうあるべし」という
あるべき論を持ってから営業しなさいよ、ということ。

自分が何がほしいか明確にわかっている人なんてほとんどいない。
だから、お客さんの欲しい物を営業側が規定してあげる必要がある。
規定に至るまでのストーリーをウチの営業部では「仮説」と呼んでいる。

入社直後に、入念に「仮説営業」理論のレクチャーと
模擬体験を行ってインストールしている。
(これについてはいずれNoteにまとめようと思う)

話を件の新人に戻す。

なんでわかったの?と聞くと
「お客さんに広告を実施してもらったらうまく行かなかった。私もお客さんも、何を目指して施策を実施するのかわかっていなかった」と答えた。

つまり「あるべき論」が弱いままなんとなくで受注してしまったわけだ。
教えたとおりにやっていればよかったのに...!

でも、この失敗はもはや必要不可欠な
学習プロセス
なんじゃないかと思っている。

今まで何人も営業を育てている。
入社後レクチャーでは全員が仮説営業理論を「理解した」と答えるが
体得するのにはどうしても半年はかかる。

そして、大体成長が加速するのは「失敗」の直後。
結論、頭でわかってたことが理解されるのには
「失敗」は必須なんじゃないかと思う。

育成プロセスの初期段階で
失敗をデザインできないかを考えてみようかな。
(もちろんお客さんに迷惑がかからないように...)



で、そう言われてみると僕もマンガを書いていて
佐渡島さんに言われたことを何ヶ月も経ってから思い出すのだった...

さっさと失敗しよ...

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