見出し画像

金権政治がやまない理由は?

ここではあること(A)をトピックとして話をする場合を考えてみよう。

例えば私が純粋な理論を持って、Aを説明したとする。

他にもたくさんの人がAを説明する。

いろいろな説明があってどれが本当の説明なのかわからない。

例えば「政治」の意味を巡って。私は「政治」とはこうだと思う。
ああだと思う、といって、三者三様の考えがある。

じゃあ、結局何が正しさを決めてしまうのかというと、

如何にその考えが、人を納得させたかということだ。つまり、説得力である。

この世の中は結局人が支配しているから、人の意思いかんによってすべてが変わってしまうと言っても過言ではない。つまり、人の気持ちさえ自分達の物にしてしまえば、この世の中を思い通りにすることができるのである。

では仮に、私の考え方が本当に正しい考え方だったと仮定しよう。(客観的に、理系的に真実であったとしよう。)

しかし、私の考え方だと都合が悪いと考えた者達がいるとする。たいてい真実というのは、政治とは相性が悪いものである。政治は、いかに嘘をつくかにつきるからだ。

そうなると、まずやるのはネガティブキャンペーンである。つまり、私の落ち度を探す。実際トランプ大統領とヒラリー・クリントンの大統領戦でお互いを貶し合うことに終始して、全米をあきれさせた例がある。米大統領選2016年だ。

もし私に何らかの落ち度がなければ仕方がない。これと並行して、あるいは独立しててもいいが、たいてい行われることが飴を与えることである。つまり、経済政策など、その人に投票することで、いい思いができると言うことを感じさせるとよい。もはやこの時点で、考え方が正しいかどうかなどどうでもよくなっている。

この世は金次第だと言われるように、人の意思を動かすのは金の力である。
政治家たちは、私たちを支配し、動かすことが一つの仕事だ。そのために法律もあるわけだ。法律を制定すると、私たちはそれに従う必要がある。従わないと罰が下されるわけだ。これが鞭となる。

飴と鞭は国民を動かすための手段だ。そして、その二つを使い分けるためには、自分よりも説得力のある考えは邪魔になる。だとすれば、ネガティブキャンペーンで失墜を狙うか、より飴を与えることで自分の意見を取らせるようにすればよいのだ。

自民党と統一教会が癒着していたように、民主主義とは一定の人間たちと政治家との癒着関係・賄賂関係が正体なのである。国民全体の代表というのは建前であり、この時点で嘘なのである。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?