見出し画像

ずっと勉強する子ども時代、楽しいか?

今朝は長男(受験生)の模試があり、早朝から長男とその友達を会場に送ってきた。
高3の2学期だけあって、車中の会話は楽しそうながらも受験一色である。曰く、
・登校する曜日を決めて効率よく勉強しリフレッシュ(体育など)してる
・〇〇模試の採点は「この文だと合格/不合格」と基準の解説が参考になった
・私立X大商学部の試験は4教科なので私立文系向けでなく国公立併願向け
という情報交換から、
・やる気が続かない友達が「一緒に遊ぼう」と巻き込んでくる
・学校を休んで勉強した友達に「そこまでして勉強したいん」とあおって来る(が、その友達も休んでたりする)
など。
色々追い詰められている頃なのかもしれない。
などと思いながらハンドルを握っていると

「小学校の時塾いってなかったの、俺と〇〇だけやったで」
と友達が言い出した。
その子は我が家とは違って小学校受験をして小・中・高と同じ学校に進学しているのだが、基本ほとんどの子が上に進学できる環境である。
息子も「ええー?上に上がれるのに?」と驚いている。
友達は「さー 大学受験の準備なんちゃう?基礎学力的な」

うーん。なんのために受験させるのか。のびのびした小中学時代の為ではないのか?しかし周りのほとんどが塾に通わせていたら、不安になる母親は多いのだろうが
ちょうど昨日、voicyで野本響子さんと受験業界の方が対談していた内容を思い出した。(受験業界の方は安浪京子先生 でした)

中学受験のために大手塾に通い、
「こんなに頑張るのは今だけだから」
と毎晩遅くまで勉強し第一志望に入った子供が、中学校に入学してからも優秀な生徒に囲まれ、塾通いに追われ、疲弊してしまうという話である。

ある子は中学校入学後も毎晩1時まで勉強しており、
「サピ(SAPIX)より辛い」と話していた、というくだりがあった。確かに小4-6で相当頑張ったあと、中高一貫校に入ってからも同じように勉強させられたら、辛くなるのは当たり前である。

なんでも、「良い会社に入るため」に「良い大学に入る」、「良い大学に入るため」に「良い高校・中学・小学校に入る」と逆算しすぎて、小学校から大学まで「職業準備校」と「受験準備校」になってしまっているように思える。
目的のない学びや体験が、一番大事だと思うのだけど。

以前読んだアメリカのイエール大学 元教授が出した本も、学生を
「優秀だが魂のない『優秀な羊』」
と表現し、
「大学に入ること、大学で優秀な成績を取ることをまるで
『サーカスの火の縄をくぐる』
ように訓練し最適化して来た結果、大学に入ったとたん、または世間的に良い就職先に就いたあと、
「自分が本当に何をしたいのか分からない」
と悩む学生が増えている、という内容だった。

教授は学校が人文科学から経済学のような「実践的な」科目に焦点を移すにつれて、学生は独立して考える能力を失いつつある、とも述べていて、日本も間違いなく同じ傾向にあると感じる。

大人に「ゴールから逆算して」設定された道を、クリアしたとしてもそれが「自分にとって良い道」とは限らない。もちろん自分で選んでも間違いはあるのだけど、まだ納得感がある。

もちろん、世の親はみな子どもが「食うに困らず幸せになってほしい」と思っているのだけど、どこで間違えるんでしょうね。

「子どもの様子をよくみる」
って難しいですが、気を付けようと思います。
そして、親自身が、「何か頑張っている」「人生を楽しんでいる」「自立している」姿を見せたいなと。

では、よい一日を~



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?