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認知症高齢者の環境を整えるということ

精神科病院で働いていた時から思っていたこと。

認知症高齢者の方は時代もあると思いますが、根気強く、さぼることをしない。仕事をすることが生活の一部で、することがないと探してでも仕事をする。

仕事をしないことが罪悪感と感じることさえもあります。

私だったら仕事をしてる人をじっと見てていいなら、見ることができる(笑)

私の母も仕事をしていないと調子が狂うくらい。仕事はしんどいと言いながら、仕事をしていると生き生きしているように見える。

仕事をしていた時に出会った一人のかわいらしい認知症高齢者Aさん。

自分の地元で知り合って高知の旦那さんのところに九州からお嫁に来た。にら農家で仕事が大好きで、にらを束ねていたら朝になっていたり、仕事しすぎて気が付いたら思わぬ方向に指がまがっていたと変形した指を見せてくれていました。高知の農家にお嫁に来たのでおきゃくの文化にも慣れたもので、エッチな替え歌を歌いみんなで騒いだもんよと。

巧緻性を必要とする作業活動は難しかったため、カレンダーに使う丸い円を切ってもらっていました。毎回同じ作業活動でしたが飽きることなく、切るものがなくなると、「もってきてー」と言い、私はその隣で、仕事をしていた時のこと、家族のこと、だんなさんとのなれそめ、エッチな歌の歌詞について(笑)いろいろな話を聞かせてもらいました。

ある看護師さんからすると、「毎回同じことして飽きるろう」といわれることもありましたが、今考えるとそれは本人が決めること。繰り返し同じ作業をしていることはAさんにとったら、昔やっていたにらを束ねる作業も毎日同じ繰り返し作業。本人にとったら楽しいやりがいのある仕事だったのです。

つい人がやっていることを見て、「私だったら飽きるし面白くない」「面白さがわからない」と自分のものさしで物事を見ることがあります。

作業療法士の「作業」は必ずしも「仕事」や「余暇活動」だけではなく、「寝る」「休む」などの「生きる」ための作業も含まれます。

人の「生きる」は様々で、元気に仕事をするだけではなく、悲しむことや、怒ること、眠ること、食べること、エッチな話をすること、ぼーっとすること、一人で静かにすごすこと、みんなでわいわいすごすこと。

認知症の方たちはつい元気な私たちと比べると、できなくなることや、理解不能なことをする人たちと思われ、理解できないと、嫌悪感や苛立ちに代わることがあります。

でも、認知症の方たちには認知症の方たちにしか見えない世界があって、その中で、「生きる」に一生懸命で、私たちと何ら変わりはないのです。

環境を整えることは、その人のあたりまえの「生きる」を支えることなんだなあと思います。