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逃亡癖

明け方、夫の携帯電話が鳴った。

92歳の義父が入院している病院から、義父の容態がかなり悪いので、もう面会時間にかかわらず病室へ行って面会していいとのことだった。

とにかく都内に住んでいる息子たちには会わせておこうと、週末には彼らに急遽時間を作ってもらい、一緒に面会に行くことが出来た。

義父はほとんど意識はなかったが、息子たちがいる間は穏やかな表情をしていたように見えた。

ホッとしたのも束の間、この先どのタイミングでXディが来るかはわからない。

身体や心臓がしっかりしている義父は、もしかしたら驚異的に持ちこたえる可能性もある。

どうなるかわからないので、不謹慎だが美容院の予約さえなかなか入れられない。

いつまた病院から電話がかかってくるかわからないからだ。

夫は仕事中だから電話をすぐ受けれない時もあるだろうし、やはり私が最初に動くことになるだろう。

そんな状況下の中で、私は一つだけ決めていることがある。

それは当たり前のことだが、義父の最期を私がきちんと見届けること。

私は、小さい頃から精神的に弱く、面倒なことや辛いことからいつも逃げていた。

子どもの頃、実家で可愛がっていた犬も、最後の世話は可哀想で見ていられなくて母にお願いしてしまった。

また、私は精神的なひ弱さゆえいろんなことが正面からぶつかってくると、時として倒れてしまい、しばらく引きこもってしまうということも今まであった。


義父は心根は優しい人だが男尊女卑の考えが強く、私は結婚したころから出来れば付き合いたくないタイプの人だった。昔の男性はそういう人が多かったろう。

そして私は付かず離れずで義父との関係を30年やり過ごして生活してきた。

でも今回、私は逃げずに、義父の最期を目を逸らさず受け止め、人間界の中で最低限やるべきことはきちんと整えて送り出そうと思っている。

それらがすべて終了した時に、私はやっと義父に対して感謝の気持ちが湧くようになれると思う。

そして私はようやく大人になれる気がするのだ。


都内某ホテルからの眺め

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