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その瞬間をより楽しく〜「没頭」がキーワード

昨年、農業のお手伝いをさせてもらい、かぶの間引きや里芋の土落としで作業に没頭し時間を忘れる快感を知りました。
どうしても効率化を考えたりする現代生活ですが、何でも端折れて機械化できるわけではない、作業として一定時間かけてやらなきゃいけないことはある。
畑のお手伝いをして、時間をかけることは悪じゃないと身を持って納得しました。

しかし家に帰ってきてしまうと、何か地道にやらなきゃいけないことがあってもその時間がもったいないと思ってしまいます。後回しに後回しにして「もうやらなきゃ!」というときにやっつけ仕事のように片付けることに。

先日、1か月以上前に買った巨大なバターナッツがまだ冷蔵庫にあるのをポタージュにしようと思いたち、ピーラーで皮を取り1センチ幅くらいに切り玉ねぎ、水、塩麹と一緒に圧力をかけました。柔らかくしてブレンダーでペースト状にして豆乳で伸ばすつもりでした。加圧が終わり鍋のふたを開けると、皮の部分が白く残っています。手で持つと卵の殻のように固い皮、これじゃ撹拌しても舌ざわり悪いだろう。気が遠くなるけどこの無数のバターナッツの切れ端のひとつひとつから皮を取り除かなくてはポタージュはできない。

取り急ぎその日の夕飯には間に合わないので、鍋ごと冷蔵庫に入れました。
翌日、ふと畑のことを思い出しました。
「わたしこういう単純作業好きじゃなかったっけ?これ絶対没頭できる類のものだよ」
夜ご飯の後片付けを終え、お風呂のお湯を溜める間、鍋の中身を大きなボールに移し、バターナイフを片手に硬い皮からバターナッツの実の部分をこそげ取り鍋に戻す作業を延々としました。もう煮崩れているのもたくさんあるので、ボールの中に手を入れ実から外れている皮も取り除けて、何とか全部の皮を取り除けました。ちょうどお風呂のお湯をためている時間でできました。以前あるカフェ(北坂戸のカフェアンジーさん)で食べたバターナッツのポタージュをイメージしていたのですが、それは美味しい感動の濃厚ポタージュができました。手がかかっているのでなおさらです。
よく「きりがない」という言葉を聞くけれど、だいたいのことは「きりがある」、きりがないと言いたくなることも大抵最後の一個がある。ああ面白い。

それからというもの、「ああこれやらなきゃめんどくさい」と思うことをするのが楽しくなってきました。考え方を少し変えるだけで充実度がこんなに違う。
没頭することが好きなんだと農作業で気づけたので、「没頭」がキーワード、「ご飯づくりに没頭」「掃除に没頭」「急ぐことに没頭」こうすれば面白いことになる。

6年前にうちでホームステイしたスリランカ人のピユミさんが三週間の研修プログラムで来日中なので、先週末にうちにきてスリランカ料理を作ってくれました。数種のカレーとわたしのリクエストしたキャベツのココナッツミルク炒めを作ってくれました。なんだかんだ2時間近く時間がかかり、ピユミさんは「日本人には長く感じるかもしれないけれど、スリランカではこうやって時間をかけてご飯を作るんです」と言いました。

ご飯作りも時間がかかると自分が優秀じゃないなんて思っていましたが、そうだそれでもいいんだ。人と比べるものではない。

時間という枠組みに入るよう自分のすることを押し込めることも時には必要だろうけど、自分のしたいことそのままでもいいではないか。
書いてみると当たり前、でもできていなかった。
時間さまより自分を大事にしなくてはなぁ。

1日の中で行うひとつひとつが輝き出してきました。
よかった、ありがとう。

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