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母が久々やってきて、改めて感じる思考のクセとは。

私は大阪出身です。
25歳で結婚して、大阪を離れました。
今でも両親は大阪にいます。
その両親が、6年ぶり?に関東にやってきた話。

きっかけは娘の成人式の前撮り。

コロナ流行によって実家とは全く行き来が途絶えてしまっていました。
連絡はLINEやビデオ電話。それでも状況は伝わるけど、やっぱり会ったほうが会話は弾む。見た目は若いほうでも、あまり社交的ではない母の様子も気になっていました。
ちょうどコロナ態勢も少し緩んできた昨年6月、娘の成人式の前撮りがあり、母が久しぶりにうちにやってくることに。

成人式を迎えられた皆さん、おめでとう。

まだ当日もあるし、コロナもなくなったわけでもないし、わざわざ無理して見に来なくても・・・・と思ったけど、ピンと来たときは行動する母。
時間をとって会いに来てくれました。

1週間滞在。

私も仕事の合間を縫って、久々親子で関東の観光スポットを歩き回りました!流行に敏感な母に喜んでもらおうと、渋谷や下北沢などに連れて行ったり。。女子同士で感じることも近いので、いつも会話が途絶えることはありません。

渋谷スクランブルスクエア屋上にもトライ。

そんな1週間を過ごして・・・・

とても有意義だった1週間。母の考えることや、ストレス、疑問、あらゆる話をしました。
楽しいし共感できる部分はいっぱいあるんだけど、母と話してていつも思うことが

・基本他責が多い
・自分では行動しない(あるいはできないと決めている)

ということが多い気がするのです。いい意味でも、悪い意味でも。
私もその価値観の中で育ってきて、もちろんそれが自分のベースになっているのは今ではわかりますが、それに気が付いたのはずいぶん大人になってからでした。
で、そこから自分の価値観・考え方のクセを立て直す(一度崩して新たに組み替えるというイメージ)のに、ずいぶんと時間と周りの協力が必要だったと感じています。

親の価値観。ある独り立ちした価値観。

親もそうしようと思って子どもに自分の考えを植え付けているわけではないし、親もその環境の中で育ってきているので、誰のせいでもありません。「大人になってからの価値観や考え方のクセは身を置く環境や自身によって変えられる」とも、よく聞きます。
自分の子どもを育てていて、私は自分の価値観を押し付けたくなかったのでできる限り子どもたちの伸びる方向をサポートするだけだと考えていたのですが、それでも私の価値観は成人した子供たちを見ていても色濃く出ているように感じます。
それは親も人間だし、考える幅にも限界があり「逃れようがない」ということはある一定の結論にはなります。でも子ども側ではそれを客観的にとらえ、自分で選ぶことはできるのかな、と思っています。

価値観とは悩ましい。

自分らしさ。

家庭環境から一歩外へ出ると、1,000人1,000通りの考え方が世の中には存在しますよね。どれも正しく、どれも違っていて、正解なんて人それぞれ。
どれを選んでも自分が納得していれば自信をもって正解。私はそれに気が付くのがずいぶん遅かったけど。
幼いながらに「親とは価値観が合わない!」なんて、思っている方がいらっしゃればそれは私にとっては羨ましいこと。気が付けているということですもんね。我が家の子どもたちも含めて、自由に大きくのびのび発揮してほしい。それが1001通り目の考え方になると思います。


価値観はそうだけど・・・

それにしても、時間を作って飛んできてくれた母に感謝。
会いたい、行きたい、と思うときがその時ということは、母からたくさん教えられています。
私もおっくうにならず、今年はあらゆる場面に自分から足を運ぼうかな?
いや、運びます!

最後まで読んでいただきありがとうございました☆


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