見出し画像

母の入院ドタバタ日記後編

母が入院した。
一過性脳虚血発作と言う一時的に脳の細かい血管に血が通わなくなる病気だ。
一週間ほど入院することになった。

前編がこちら。

昨今の諸事情により、お見舞いや面会が出来ない。短期の入院とは言え、気になる。
容態もそうだが、なんかやらかしてないか、気になる。

病院の受付で担当の看護師さんを呼べば、着替えを渡すことが出来る。そのときに母の様子を聞くことが可能だ。
様子を知りたくて、毎日、病院へ通う。

眠れているようですか?
と、毎日聞く。

母は布団でしか眠れない。
ベッドはいやだと旅に出ても布団を出す旅館にしか泊まらない。

ポテンシャル高い、91歳。

「ちゃんと眠れていますよ」

お、成長した。

「ただ、トイレに行く時、ひとりで行かれてしまうんです。必ず看護師を呼ぶように伝えているんですが」

しかも、歩き方がめちゃくちゃ速いらしい。看護師さんが追いつくのが大変なくらい。
健康をアピールしてどうする?

申し訳ありません!
ポテンシャル高い、91歳。

「それでですね、病室を変えました」

えええー?

「歩行中、倒れると大変ですので。ナースセンターから常に見える部屋に移動しました」

ナースセンターから常に見える部屋?

「はい、ICUです」

容態が良くないってことですか?

「トイレ問題だけです。立ち上がってフラッときたら大変ですから、いつでも目の届く場所に来てもらったんです」

申し訳ありませんっ!
迷惑をかけまいとしてやっていることが、もっと迷惑をかけているじゃないか。

ポテンシャル高い、91歳。

「それでですね、お母様が持ってきて欲しいものがあるそうです」

なんでしょう?

「時計とお金だそうです」

時計は明日持ってくるとして、、、お金?売店で水や新聞を買うくらいのお金は渡してある。お菓子も食べちゃいけないと言われている。
何に使うんだろう。

欲しいものがあるなら、電話すれば良いのに。
そのほうが早いのに。
自宅の電話番号、忘れたのか?
それとも、電話の掛け方自体、忘れたのか?

なんとなく違和感を感じつつも、それ以上の状況を知る術なく、帰宅する。


そんな気分が続いている入院6日目だった。
家の電話が鳴った。
病院からだ。

やな予感。

病院からの電話って、容態が急変した時にかかってくる。父の入院時、そうだった。

姉が電話をとった。
母の担当看護師さんからのようだ。

母が帰宅すると言いだしたらしい。説得しているが、分かって頂けないので、娘さんからも話してもらえないか?と言うのだ。

な、なんだ?何が起きているのだ。

「あのね、今、旅館にいるんだけど、そろそろ帰ろうと思うの。随分、長いこと留守にしちゃって、ごめんね。ジュノにも何も知らせないまま旅に出ちゃって悪かったわ。中居さん達にも良くして頂いたしね。もう帰るから、迎えに来てくれる?あ、お金持ってる?渡さなくちゃいけないと思って、持ってきてもらったのよ」

や、やっちまった。 
これが、せん妄と言うやつか。
噂には聞いていたが、リアルはなかなか痺れる。
母よ、その「持ってきてもらったお金」は、姉が渡したものだ。それをまた渡してどうする?

そこは病院だよ。お母さんは入院しているの。先生が退院していいって言われるまでは、そこにいなくちゃいけないの。
今日はもう遅い時間で面会も出来ないから明日まで、ゆっくりしていてね。

すると、母は自分が捨てられたと思ったのか、怒り始めた。

「いいわ、もう頼まない。芳郎ちゃんに頼むわ。今日から芳郎ちゃんちに泊まります」

うひょ〜!

芳郎ちゃんは、母の弟だ。
我が家から車で10分ほどの場所に住んでいる。

それきり、母は電話を終わらせてしまった。

母は荷物を全部まとめて、着替えも済ませて、ナースセンターに、お世話になりました!と言いに来た。医師の許可が出ないと帰れませんと伝えたが説得しきれず、申し訳ないと、電話を代わった看護師さんが説明してくれた。

そうか。
そうなるのか。
入院は、高齢者にはつらいのだな。
私も人生で3〜4回、入院したことがあるが、辛かったのは、最初の2〜3日で、あとは非日常を楽しんでしまった。

すみません。こんな患者で。
病院食も実はすごく好みです。
なんなら、一人暮らしの食事より豪華でした。
元々、うす味が大好きで、野菜をクタクタと煮たやつ、うめぇ〜!と、のどを鳴らして完食いたしました。

看護師さんは、明日、医師の診察があるので、退院許可が出たら連絡すると言ってくれた。

それはそれは、ありがたい。
母を早く日常に戻してあげたい。

翌朝、朝食の後片付けをしていたら、病院から電話がきて、午後から退院してもいいと言う。

早い!
嬉しい。

嬉しいが、気になる。
母が昨夜のままなら、どうしよう。
せん妄ではなく、認知症の始まりで、急激に、坂を転がるように深刻になってしまったらどうしよう。

・・・まあ、その時はその時だ。

「旅に出ていた」と言われたら、楽しかった?と、迎えよう。
「あんた誰?」と言われたら、新しい家政婦ですと答えよう。

母のせん妄が、一時的なやつでも、ずっと続くやつだとしても。

午後、迎えにいくと、母がトイレから戻ってきた。看護師さんと一緒だ。
姉と私を見つけ、笑顔を見せた。

「久しぶり!元気だった?」

いやいや、そのセリフ、そっくり母にお返しします。大丈夫だった?
と、答えつつも、母がいつ「あなた、誰?」と言うんじゃないか?と、ハラハラしてしまう。

「今日ね、家に帰りたいって先生に言ったら、いいよ!って言ってくれたのよ。もっと早く言えば良かったわー!」

ちゃうで。
母が昨晩、問題起こしたから、先生が気を効かせて、早く検査してくれたんやで。
まあ、最初から一週間くらいって言われていたから、順当な退院なんだけど。

昨晩のことを覚えているんだろうか。
それとも、今もここは旅館だと思っているんだろうか。
なんて話を進めればいいのか、迷ってしまう。

それから、先生のお話があった。
入院中、施してくれた治療内容、これからも続けるお薬の説明、再診の日程、、、などなど。
それはそれは丁寧にご説明いただいた。
ありがたかった。

あの、、、
どうしよう、、、
聞いておきたい。

「先生、MRIで分かる範囲でいいのですが、認知能力とか大丈夫でしょうか?」

隣に母がいるから聞きづらいが、聞いちまった。でも、ここらへんのことを確認しないと、今日は帰れない。

「大丈夫ですよー!91でこんなきれいな画像なら、たいしたものです。まあ、我々でもいつ認知症になるか分かりませんけど、今、この状態では、心配いりません」

褒められて母は嬉しそう。
ポテンシャル高い91歳。

「いや、その、、、入院中、ちょっと混乱していたみたいで、、、」

「一時的なやつでしょう?歳を取ると入院はストレスになりますからね。大丈夫。すぐ戻りますよ。それにしても、お若いですよねー。91だなんて。僕も頑張らなきゃ」

あー、先生、もうこれ以上は言わないでください。母は若いって言われると、すぐに調子に乗りますので。

何度もお礼をして、病院に別れを告げる。
退院は、嬉しい。
しかし同時に、これから自宅でも大丈夫なんだろうか?という不安がスタートする瞬間でもある。
帰宅した母は、
「やっぱり自宅が一番いい!」と嬉しそうだった。

あれから約3ケ月。
体調は、大分いいらしい。
せん妄も、電話の時だけですっかり元に戻った。
しかし、以前より物忘れがひどくなった。
2〜3分前に言ったことを繰り返し口にする。
「それ、さっきも聞いたよ」
と、つい言ってしまうが、言わないほうがいいのだろうか。
よく分からない。
責めてるみたいに聞こえたら、申し訳ない。
本人も、忘れっぽくなっている自覚はあるらしい。

電話の事件は、全く覚えていないそうだ。
実は、こんなことを言っていました。と、内容を話したら、ひっくり返るくらい驚いていた。
治療内容も工事現場のような音がするMER検査も、全く覚えていないらしい。

きっと今後、いろんなことを覚えていられなくなるのだろう。私と姉とで、看病もどこまでやっていけるか、心配ではある。

まあ、でもまだ来ない未来を憂いでもしかたない。その時その時で対処するしかない。
だれもがいつかは歳を取る。
全てが用意されたストーリーなのだと、瞬時に覚悟を決められたら、素敵だ。
まだまだ、その境地には行き着いていないのだけど。

それにしても、ここ数ヶ月で、私もめちゃくちゃ歳を取った気がする。母に合わせていたら、早寝早起きになってしまった。
朝5時とか6時に目が覚めてしまう。

すごいな。
ラジオ体操が出来るじゃないか。
まあ、朝から3分も体操できる体力はないんだけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?