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「逃げてもいい」とか「逃げちゃダメ」とか「向き合おう」と言うことではないのだよ。

天那知保です。
こんにちは。

ちょうど2年前の今日、マジでもう本当に「こ、この場から消えてしまいたい」という事があって、逃げてみました。

宮古島に。

と言うか、フツーに一週間の一人旅だけど。

降って湧いたようなハプニングが某氏に起こり、そのことで某氏が八方塞がりになってこちらにも火の粉がやってきたので逃げました。

別の切り口で某氏にアプローチすることもできたけど(裏でこっそりアプローチしてました)、私がアレコレやってしまうのは本人が考えることを奪ってしまうな、、、というちょっとスパルタ的なことも思って、その場から少し立ち去って一人になってみたのです。

某氏がそのハプニングに見舞われたのは2回目なのでね、ちょっとは自分で考えてみよう!という置き去りプレイ。笑


「逃げた」というのがピッタリ当てはまる宮古島への逃亡。笑

これはねぇ、本当に「逃げただけ」だから状況は何も変わらないし、東京に帰ってきてからの私の心もグラグラしたままでしたわ。

私が「逃げよう」って決めたのは「逃げてもいい」っていう自分の中のジャッジだけで決めたから、「逃げた」っていうだけで、その先のことは白紙。

じゃぁ「逃げちゃダメ」なの?
「立ち向かえ」ってことなの?

っていうのもまた違うんだよねぇ。

「逃げていい」わけでもないし、
「逃げちゃダメ」っていうことでもなく、
「向き合おう」っていうことでもないのです。


はい、そうです!!

「自分はどんな自分になりたいの?」

これです。

──────────────────
どんな自分に憧れるの?
どんな自分だったら素敵だと思えるの?

その自分だったらどんな感じがするんだろう?
──────────────────

これを徹底的に考えることで、その状況に対する自分の好みがわかります。


・逃げる自分って好きなの?憧れるの?

・逃げるよりも何とかしようとする自分って好きなの?憧れるの?

・その事に向き合う自分、
または、あえて向き合わない自分って好きなの?憧れるの?


私は「逃げたい!」の気持ちだけで逃げたから帰京後も状況はまったく変わらなかったけど、「逃げる自分に憧れる」、「逃げる自分が好き」っていう自覚をしっかり持っていたのなら帰京後の(主に自分の心の)状況は違っていたはずよ。

もっと言えば、しっかり考えていたら「逃げる」という言葉にはならないだろうなぁ。(いずれにしても一旦東京を離れる選択はしてたと思う)


私の例で書いてみたけど、いろんなことで「逃げたいな」とか「逃げてもいいのかな」「逃げちゃダメ」「向き合ったほうがいいのかな」って悩んでる人は少なくないと思います。



「どんな自分になりたいのかな?」
「どんな自分だったら憧れるのかな?」

という視点で、「その自分になったらどんな感じなんだろう?」をイメージしてみてね。


PS:命の危険性がある場合は悠長なことは言ってられませんよ!すぐ逃げて!!警察に相談するなどしてください!!!!