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SPAC『アンティゴネ』空間デザインノート(10)「『アンティゴネ』、一択。」

そもそも『アンティゴネ』とはどんな物語なのか。ご存知ない方の為に少しおさらいをしたい。

『アンティゴネ』は古代ギリシャ三大悲劇作家と言われるソポクレスが書いた悲劇である。

主人公のアンティゴネはオイディプス・コンプレックスの語源ともなった、オイディプス王の娘である。父の死後、国を治めていた2人の兄、ポリュネイケスとエテオクレスが仲違いし、国を追われたポリュネイケスが隣国の兵を率いて祖国に攻め入り、エテオクレスと刺し違えて共倒れした、という前日譚をもって幕が上がる。2人に代わって国を収めることとなった新王クレオンが、国を守った英雄エテオクレスを丁重に弔う一方で、裏切り者のポリュネイケスを弔う事を一切禁じ、その遺体を野ざらしにせよとのお触れを出す。このお触れに異をとなえ、クレオンに真っ向から逆らったのがアンティゴネだった。彼女は人の作った「法」よりも、自分は「神のおきて」に従う、と言って兄ポリュネイケスを弔い、それを知ったクレオンによって捕らえられ、岩穴の牢に閉じ込められ、そこで許嫁のハイモン(クレオンの息子)と共に息を引き取る。

大雑把にまとめるとこの様な話である。

話は戻って、「何故法王庁で(巨大な空間を使うのに適していない、動きの少ない作品である)『アンティゴネ』をやろうと思うのか?」という私の質問に対する、芸術総監督たる宮城さんの答えはこうだった。

「『アンティゴネ』を現在上演する意味は何か?それは『人を善と悪という、2つの敵対する関係に分断しない』という彼女の思想にある。これは分断が深まる一方の現代世界に向けて、発信するに値する、いや発信しなければならないメッセージだからだ。

そして、そのメッセージは我々日本人の「死生観」に通じている事に僕は注目している。「死ねば皆仏」という言葉がある様に、我々日本人には、生きている間は敵味方だとしても、死んでしまったら魂は皆等しく平等である、という思想が心の深い所に息づいている。

この事を『法王庁』という、言わば『西欧的世界観の総本山』で世界に提示する。古代ギリシャのアンティゴネが問いかけた言葉を、日本人である我々にしか出来ない方法で、現代世界に届ける。

僕はSPACが法王庁の舞台に立つ意義をそこに見出したい。」

折しも、この年演劇祭真っ只中の7月14日に、アヴィニョンから東に250キロ程のニースで、花火大会の見物客にトラックが突っ込み、84人が亡くなり202人が負傷するという、凄惨なテロ事件が起きたばかりだった。

テロは憎しみの連鎖だ。残虐な行為が、新たな憎しみを生み出し、更なるテロを呼び起こす、その果てしない連鎖の果てにあるのは、千々に分断され、争いあう、無間地獄の世界である。
その状況を少しでも改善する力が、芸術に備わっている、と宮城さんは信じ、それを全く諦めていないのだ。

やれるか、やれないか?ではなかった。やるしかないという静かな決意が宮城さんの周りに漲っていた。

周りの誰も異論を唱えることはなかった。

『アンティゴネ』、一択である。

~つづく

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