鼻めがね

どうすれば認知症の人への「虐待」を止められるのだろう。

老人ホーム等での介護職による虐待が後を絶たない……。果たしてそれはどこまで広がっているのか……。

この本は、著者が、かつて特養の入居者にあやうく暴力を加えそうになった経験、ならびに自身が運営するグループホームで起きてしまった虐待事件を振り返りながら、虐待が起こる原因について深く追究し、どのようにしたらそれを止められるのかを思考したもの。

ちなみに、タイトルにある「鼻めがね」とは、クリスマスや誕生会などで用いられるパーティーグッズ。これを認知症のお年寄りに付けさせ、「かわいい〜」「似合ってる〜」などと言って手を叩く。悪気はなくとも、介護現場でよくみられるこうした風土が、虐待へと続く「芽」に他ならない。著者はそう語る——。


林田俊弘著『鼻めがねという暴力——どうすれば認知症の人への虐待を止められるか』(harunosora刊)


まえがき [著者・林田俊弘]

私は、20年ほど前、介護職として特別養護老人ホームで働いていました。

それは、夜勤をしていたときでした。夜勤は職員2人で約50名の入居者さんを介助し、見守りをします。時間は16時から翌朝9時まで。夜間、定時のおむつ交換を5〜6回行うことになっていました。

その日は、もう一人の職員が「林田くん、私、今日体調悪いから4時間休憩していい?」と言ってきました。つまり、私の休憩時間も自分にくれないかというのです。私は、当時20代半ば。相手は40代半ばのちょっと怖い女性でした。もう、イチもニもなく「大丈夫ですよ!」と。そう言った以上、一人で頑張るしかありませんでした。

深夜0時頃のおむつ交換は、だいたい20人から25人だったと思います。それを始めたときでした。遠くのほうから全開の蛇口から水が「ザーッ」とあふれる音が聞こえます。慌てて音のするほうへ向かって走っていくと、居室(4人部屋)についている洗面台から水が勢いよく出ていて、今にも洗面台から水があふれそうになっていました。私は急いで蛇口を閉めました。近くには、入居者のKさんが立ちすくんでいました。たぶんKさんが蛇口をひねったのでしょう。

Kさんは、私がデイサービスから特養に配置換えになったときに入居してきた方です。なんとなく馬が合い、“同期” のように感じていました。昼間は、体操をされたり、陽気に話をされたりしますが、この頃は認知症の症状から落ち着かなくなり、睡眠薬の投与などもあり、昼夜逆転がみられていました。

水を止めた私は、Kさんをベッドのほうに誘導し、おむつ交換の続きに戻りました。それから2〜3時間後。再びおむつ交換を始めたとき、さっきと同じ方角から水が出る音がします。あっと思い、部屋に駆けつけると、やはりKさんが立ちすくみ、洗面台から床へと水があふれていました。滑ると危ないので、バスタオルを持ってきてすぐに拭き取りました。そして、またKさんをベッドに誘導し、就寝を促しました。このとき、私は心の中でこう思っていました。「いい加減にしてよ」。

それからまた2〜3時間後。明け方4時近く、夜勤帯での最後のおむつ交換です。私はこの時間がもっとも苦手でした。疲れと眠気。この日は、一人ですべてしなければならなかったことに対する不満と怒りがつのっていました。そのような状態のときに、また水の音……。

「あっ、まただ!」。私は、あの部屋へ飛んで行きました。やっぱり水があふれています。先ほどよりたくさん水がこぼれています。しかも、トイレの便器からも水や便が流れ出ています(その部屋には、洗面台の反対側にアコーディオンカーテンで仕切られたトイレが1つありました)。

「あああああああー」。蛇口を閉めて、アコーディオンカーテンを開けると、そこには足や手にうんこをこびりつかせたKさんがいました。おそらくKさんは、尿とりパッドをトイレに流してしまったのでしょう。それによってトイレが詰まったのだと思います。

Kさんの体を拭き、着替えの介助が必要でした。Kさんはリハビリパンツを履いていました。それを脱ぐには、横を破けば簡単です。でも、履くのは至難の業です。なぜなら立ったまま履いてもらおうとすると、片足立ちにならないといけません。いすを持ってくればよかったのですが、そのときの私にそんな余裕はありませんでした。なぜなら、たくさんの入居者さんの排泄介助が遅れていたからです。

仕事が遅れていれば、休憩明けの女性職員に「林田君、全然できてないじゃない」と言われるに決まっています。この時間帯の排泄介助が遅れると、起床介助も遅れて、食事介助も遅れて、早番で出勤してきた職員に非難される可能性もあります。さらに、食事介助が遅れると、調理場にも迷惑をかけます。私の頭の中は、焦りと眠気と疲労とで思考できない状況でした。

そんな状況のなか、Kさんに足を挙げてもらおうと、私はひざまずいて、「Kさん、こっちの足を挙げてください」と必死に言います。ところが、Kさんは片足になることが不安なのか、言うとおりにしてくれません。Kさんの手を取り、「私の肩をつかんでいいから。足を挙げて」。うんこの付いたKさんの手ががっしりと私の肩をつかみます。うんこの匂いがするなか、「この上着、着替える時間があるかな」などと余計なことが頭をよぎります。あまりにもKさんが足を挙げてくれないので、なかば強引に足を持ち上げようとしますが、ますます足を踏ん張るような状況です。その瞬間、嘘ではなく、私の頭の中に “善悪メーター” が浮かび、矢印が善から悪へ振り切れる音がしました。

「Kさんの腹を殴ろうかな」。イライラしてということではなく、殴ることでKさんの体が屈曲し、床に横にしてからリハビリパンツや衣類の交換をすればいいやと思ったのです。正常な思考や判断ができなくなっている状況でした。

結局、私はこの最後の一線を越えることなく、現在までこの仕事を続けることができています。それは、たまたま洗面台の鏡が目に入ったからでした。ひざまづいていた私は、車いす用に前傾している鏡をちょうど見ることができました。そこにいたのは、「Kさん、足を挙げてください」などと丁寧な言葉を使っているものの、“夜叉” の顔をした私そのものでした。

夜叉になった自分を見たとき、ふと我に返りました。そして、「あー、自分もしょせん偽善者なんだな」と気づいたのです。周りの職員から、認知症の症状が激しいKさんの扱いがうまいなどと持ち上げられ、Kさんだったら言うことを聞かせられると思い上がっていた自分のなれの果ての姿がその鏡の中にありました。

そもそも、他の職員から「Kさんの扱いが……」などと言われたときに、Kさんを「物」のように表現していることを戒めるべきです。また、「言うことを聞かせられる」など、甚だしい思い上がりです。それに気づいていなかったのも、こうした心理状態になる遠因であったことは間違いありません。

一皮むいたら偽善者の私。そして、いざ追い込まれると夜叉に——。そう自覚をした瞬間に、急に肩の力が抜けました。

女性職員に何か言われたら、「あなたのぶんもやっておいたのでね」と言い返せばいい。食事が多少遅れたって死ぬわけではないし。イライラを爆発させてKさんに暴力をふるうほうが、よっぽど誰のためにもならないし。そんな開き直りにも似た気持ちになりました。そのときでした。私の心を見透かしたかのように、Kさんが挙げてほしかった足をスッと挙げてくれたのでした。

◆◆◆◆

当時のこのことを回想するのは、私にとって本当につらく、心苦しいことです。情けないとも思います。しかし、こうして書いたのは、同じような体験をしている介護職がたくさんいるだろうと思うからです。人に話せずに退職したり、介護の仕事を辞めてしまったり、あるいは実際に虐待に及んでしまったりする人が少なくないと想像するからです。私の体験談が、少しでもこのような人たちの現状を好転させるきっかけになればと思うからです。

私の例のように、介護現場で苛立ったり我を忘れてしまったりするような状態が日常化していくと、恐ろしいことに、認知症状態にある弱い立場の方に対して、暴言を吐いたり、暴力をふるったりするという選択をしかねません。自分自身を省みたり、内面と闘ったりする前に、簡単に自己を正当化し、「認知症だから仕方がない」「相手が悪い」などと考えてしまうのです。そこに至る要因には、人手不足の現場において、多忙を極め、「仕方がない」「無理だ」「昔からやっているし……」といった思考停止なども存在します。

もう一つ、とても怖い現象があります。それは、虐待は止められなくなる可能性があるということです。

ほとんどの介護職は、「虐待なんかしない」「してはいけない」と考えています。精神的な苛立ちや判断力の低下はあっても、そこで留まります。また、自らストレスの緩和を心がけ、さまざまな方法で虐待を遠ざけます。あるいはそこに近づいたことで、罪悪感や後悔の念から退職などを選択します。

しかしながら、これを乗り越えられずに虐待を続けてしまう人たちがいます。結局のところ、徐々に感覚が麻痺していっているのです。感覚が麻痺するだけではなく、虐待を行うことでストレスを解消したり、スッキリする感覚を味わったり、あるいは興奮を覚えたりして、それを脳が快感ととらえていることもあります。そうなってしまうと、意図的に虐待に走ってしまうようになります。こうなれば、もう防ぐことも避けることできません。この状況になると、完全に虐待という犯罪に手を染めてしまっているといえます。こうした虐待はこっそりと行われることがほとんどですので、対策や原因の究明が遅れかねません。

最近、福祉施設における虐待事件のニュースが後を絶ちません。介護職による虐待はどこまで広がっているのでしょうか。とても大きな不安に駆られます。

この本は、私なりに認知症状態にある方への虐待に関する情報や意見・考えをまとめたものです。私の体験を中心に書かせていただいたので、その内容は介護施設やグループホームが中心となっています。しかし、虐待は施設やグループホーム以外でも起きます。さまざまな状況を想定して読んでいただければと思います。


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林田俊弘著『鼻めがねという暴力——どうすれば認知症の人への虐待を止められるか』(harunosora刊)