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人差し指が覚えている。

1996年、22歳の僕は東京の会社に就職し福岡に配属された。生まれ育った町を離れた僕は年に数回地元に帰り、地元の仲間と飲み歩くのを楽しみにしていた。

20代の半ばだっただろうか。その夏も盆休みに地元に帰り夕方から飲み歩いていた。2軒目か3軒目に移動する途中、酔った勢いで地元の女友達に電話してやんわりと誘い、やんわりと断られては仲間たちと盛り上がったりした。「久しぶり〜!」と言うくせにだいたいみんなやんわりと断ってくる。

ある時、ふと僕は学生時代に付き合っていた彼女に電話しようと思い、仲間たちに「オレ◯◯にかけるわ!」と息巻いた。地元の仲間というのは学生時代もずっと一緒に過ごした面々だったので、その昔の彼女のことは全員が知っていた。

学生時代には携帯電話はまだ普及しておらず、みんなポケベルしか持っていなかった。社会人になってから携帯を持ったので当然彼女の番号は入っていない。なのに僕は迷うことなく番号をプッシュした。

それは彼女の実家の電話番号だった。

21時か22時だったと思う。酔っていることを悟られないように努めて丁寧に話す。電話口に出たのは彼女のお母さんだった。

かろうじて僕のことを覚えてくれていた様子のお母さんは、彼女が嫁いで実家にはもういない事を教えてくれた。おそらく僕が酔っ払ってることには勘付いていたと思う。

学生時代に大好きだったショートヘアの彼女は20代半ばで人妻になっていた。それを知った僕はひどくガッカリしていたと思う。でもその日のことはもう覚えていない。

・・・・・

あれから20年が過ぎた。

今日、撮影の仕事で当時彼女の実家があった町のすぐ近くを訪れることになった。20年ぶりの田舎町はあまり変わっていないだろうと思っていたら、全然違っていた。でも当時よく遊びに行った彼女の実家の場所は覚えていた。

実家の前を通り過ぎる。
僕は何やってるんだ。

とは言え、こういうセンチメンタルなのが好きなのは自覚している。女々しいと言われようが、この感情の昂りは悪くない。古い民家の前をただ通り過ぎただけなのに甘酸っぱい気分を味わうことができた。

さぁ帰ろう。高速のインターを目指した。

・・・・・

インターに向かう途中センチメンタルな気分に浸りつつ、先日知ったばかりの東京初期衝動を聴きながら走った。

君と会いたい夏の夜 好きと言えば 溶けていく
夏が来て 手を繋いで 君と夏フェス
ワンチャンあるやん
〜さまらぶ♥・東京初期衝動〜

僕らの時代は夏フェスなんかなかったな。


そう思いながら田舎道を走っていた時、交差点で白いミニバンとすれ違い自分の目を疑った。

彼女だ。
あのショートヘアは絶対に彼女だ。


僕は慌ててUターンをしようと路肩が広くなったところを探した。しかし田舎道のくせに次から次へと軽トラがやってきて引き返せない。やっとの思いでUターンすると彼女の白いミニバンは遥か遠くを走っていて信号のある交差点を左折して行った。あいだに何台か軽トラを挟んで追いかける僕。

信号を左折したところで白いミニバンを見失った。

彼女はあの頃と同じショートヘアだった。色白でクリっとした目、小さい鼻、薄いくちびる。センチメンタルな気持ちで車を走らせていた時に彼女のフォルムはそれほど蘇っていなかったのに、白いミニバンとすれ違ったら一気に蘇ってきた。でも見失った。


こんなところで運良くすれ違うことなんかあるのかな。

今もショートヘアでいるとは限らないんじゃ。

あれはただのキレイなお姉さんだったんじゃ。

あれは別人なんじゃ。


そう言い聞かせて諦めた。90%ぐらい彼女だと思ったけど。

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僕は帰りの嬉野サービスエリアで伊勢うどんを食べた。大学で彼女と出会い、彼女と伊勢へ遊びに行った時に伊勢うどんを知った。センチメンタルを欲するオッサンは甘辛い伊勢うどんをたべながらきっとニヤニヤしていたと思う。

そう言えば、あんなに好きだったショートヘアの彼女と別れた理由はなんだったんだろう。

別れた理由は覚えていないのに、彼女の実家の電話番号はいまも覚えている。僕の人差し指が覚えている。

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