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朝顔(KFK-36)

 中学以来の新聞配達は辛かった。配達部数が多くて大変だった。よく遅配や誤配して、お客さんからクレームが来た。

 初夏のある朝、いつものように配達をしていると鉢植の朝顔が咲いていた。とても瑞々しくて綺麗だった。朝日にきらめいていた。

 私の記憶にある朝顔は、少し萎れた姿だった。朝顔ってこんなに綺麗だったんだ。早起きして良かったと心から思った。

 後藤は専門学校の友人と、つるんで遊ぶ事も多くなった。私も時々、高校時代の後輩が遊びに来てくれるものの、圧倒的に独りだった。

 新聞配達の稼ぎでは、折半費用を払うと殆ど残らなかった。晩御飯と朝御飯は二人で出したお金を使うけど、昼ご飯は食べられない日が多かった。
 小麦粉を水で溶いて砂糖を混ぜて焼いたものに、ソースをかけたりしてしのいだ。

 私は意を決して他のバイトに応募した。とある大きな店舗の、レストラン階にある料理屋の厨房の仕事だった。面接後、案外すんなり決まった。丁度大学生のバイトが辞めるので、その後釜に滑り込んだ。

 新聞配達の仕事は、朝刊だけ続けてダブルワークにしたけれど、すぐに体力が持たなくなったのと、料理屋さんが、こちらに専念して欲しいと言ってきたので新聞配達を辞めた。

 厨房バイトで暫く頑張って、調理の腕を上げるかと腰を据えようとしたとき、突然料理屋が閉店する事になった。

 入って一ヶ月程度の私は、他の店舗へ移籍するだけの経験も腕もなく、閉店後無職になった。他の人はアチコチのお店に移って行った。

 新聞配達も辞めて厨房のバイトも消えてしまい、八方塞がりになった。
 バイト情報誌を見ても自分に出来そうなものがなかなか見つからなかった。家に籠もる日が増えて、気分が落ち込んでいった。

 ある日、後藤が学校に行ってる間、私はカーテンレールにビニール紐を括り付けて首に巻いた。
 体重を少しずつ掛けた。だんだん苦しくっなってきた。

 途端にビニール紐が切れて、私は床に転がった。

 私は死に切れず、生き残った。
 

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