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【言葉の深さ】浅い言葉、深い言葉のちがいって何だろう?

言葉は何とでも言える。
文章は何とでも書ける。

それが言葉の難しさですね。
でも、浅い人は、身の丈には
合ってない言葉を当たり前に口にする。
深い人は自分の身の丈に合った 
言葉を丁寧に話してる。

世の中的には、
浅い言葉より、浅い文章より、
深い言葉、深い文章がいいってことに
なっているんですよね。
私もそんな1人です。

なぜ、こんなことを言うか?
といいますと、
あの齋藤孝先生が最近
「話が深い人、話が浅い人」
というタイトルの本を出したから、
気になっているからです。

話が浅い、話が深いって決めるのは、
自分じゃない、
聴く人が判断するものですよね?
自分ではどうすることもできない。

では、深い話ができるには、
どうしたら、いいんでしょうか?
これは、私にとって永遠の
テーマかもしれません。

ただし、反対に、
話が浅い人の特徴は分かります。
最近流行りのカタカナ言葉を
これ見よがしに沢山使い、
相手を圧倒するために、
スピーディに話をする人は、
言葉が浅くなる気がします。
カタカナのビジネス語は
なるだけ使わずに、
また、マウンティングなど
まるで興味なく話す人は深く感じる。
頼もしく、また奥深く感じる。

会話や対話は結局、誰か相手との
対(つい)でおこなわれるものですよね。
相手を信頼したり、
相手から信頼される時に、
深さというものは現れるのではないか、
そう思うんです。

私はしばしば「あんた、浅いな?」
と、学生時代から言われてきたので、
浅さは、ずっとコンプレックスです。

深い言葉がいい、
深い人がいい、
深い話がいい、
そう決めたのは誰だろう?
世間か?世間の常識か?
 
なんでまた、齋藤孝先生みたいな
立派な教育の研究者が、
こんな、胡散臭い自己啓発書を
書いて出したんだろう?

言葉に浅いとか、深いとか、
言葉自体は、そんな要素を
内包してはいない。
言葉や文章は、
誰かと対になってこそ、
総合的な意味が出てくる訳で、
文章や言葉だけでは、
深いとか、軽いとかは
分からないんですよね。

深い言葉というのは、
それなりの会話相手や読者に向けて、
言葉一つ一つをとことん吟味し、
しっかり選んでいけば、
そう書くしかない必然性で
中身のある文章が書ける。

その時、はじめて、
深い言葉が、深い話が
生まれるのではないか。

いつか深い言葉を繰り出せる人間に
なれたらなあ(汗)。
そしたら、きっと読んで下さる方に 
もっともっと満足してもらえるように
なれるかもしれません。

何とでも書ける言葉ではなく、
何とでもは書けない、
自分にしか駆使できない無心な文章に
いつか、しっかと、たどり着きたい。
そんな人に、私はなりたい。

 

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