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明日があると思うのが自然か?人生は今日で最後と思うべきか?

人生は一度きり!
リハーサルや予習のない
一度きりの人生を生きている!
だから、今日が人生最後と思え…
とはよく言われます。

でも、そうでしょうか?
たとえば、
メールの定期購読をしてたり、
ペットを飼っていたり、
週末はいつも次週の食料を
いっぱい買い込んできますね。
私たちは明日も明後日も生きる
前提で生きてるじゃないですか。

いや、エンディング・ノートも
全部書いたし、終活もバッチリだよ
という方もいるかもですが、
たいていの人は明日があると思ってる。
私もそんな一人です。

やはり明日は目を覚まして
今日のように生きると信じてる、
疑ってはいない。
まだ本番がいつか始まると思いながら、
仕事の年間目標を立てたり、
今月の読書の予定を立てています。

一ヵ月後も一年後も生きる気満々です。
明日、目が覚めないかもしれないのに。
この私が誰よりも、そう迂闊に
明日を信じてる。
一回きりだという言葉が好きな
青年はきっと多いでしょう。

でも、心のどこかでは、まるで、
リハーサルのように生きてないかしら?
少なくとも自分はそんな気がしてる。

だって、好きな人がいても、
フラれると怖いから告白していない。
でも明日死ぬと医者に予告されたなら、
真っ先に今から告白に行くと思うんです。
ずるずる告白しないままでいるのは、
まだ人生、先があると思ってるから…。

人生は今日で最後だ!という言葉を
座右の銘にする人が多いのは、
つい明日も来週も来月も来年も
自分はずっと生きていると
楽観的に人間は考えるように
出来ているからですかね?

そう楽観的に感じるのは
生物らしさ、生物本来の祈りかも。
それが緩みになるのを
座右の銘で戒めてるのでしょうね。

でも、私は今日も職場のデスクも
そんなに片付けないまま、
帰宅しようとしてる。
やはり明日が普通に来ると
思っていますね、これは。

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