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【書く】ライターになるには何が必要か?は時代で変わる?

物書きは、昔、物知りな人がなる仕事。
今から20年前、30年前は
ライターは、みな物知りでした。
学問や雑学はもちろん、
歴史、芸術、人体、お酒、スポーツ、
サイエンスなどなど。

まだウィキペディアも普及せず、
ネットやスマホも今ほどでなく、
記事を頼むなら、
もともと物知りのライターさんに
頼むのがベスト、
そんな時代がありました。

今は、それだけではなく、
自分ならではの視点や感想が
書けると更に歓迎されますね。

事実の詳細と流れだけなら、
ウィキペディアで十分だからです。

この時代の変化は
一種のふるいかけになったかも?
うまく対応できたライターさんは
どれくらいいたでしょう?

逆に、この大変化の時代に、
むしろチャンスを掴んだのが
ネットにいたライターさんでした。

新しいライターさんたちは
オシャレに自分を見せる方法を
よく知っている人が多かった。
自己プロデュースの時代が
来たことを告げました。

バズライターの一人、
さえりさんに代表される
「日常に小さな幸せや発見を探す」
人たちのTwitterなどは
ただの物知りには書けない
内容で人気になりました。

物知りライターの人には
そうした時代は、いわば
苦難の時代だったでしょう。

編集者として
お付き合いがあった
物知りライターさんには、
なんとか、その人らしさを
書いたり見せて欲しいと
ハッパをかけましたが、
何十年も、自分を語らず、
ウンチクを書いてきた人には
急に別人になれといわれたような
無理な話だったようです。

一度、ある物知りライターさんと
銭湯に浸かりながら、
自分ならではの良さを
引き出そうよ、といった話を
延々としましたが、
物知りライターは
そもそも自分自身のことなど、
まず誰も興味を持つまいと、
最初から決め込んでいました。

本や資料に書かれた情報は
興味を持たれるけれど、
自分の日常になど、誰が
興味を持つだろうか、と。

これでは今どきの読者は
興味を持ってくれないでしょう。
といって、このライターさんは、
それで自分を変えたくはない、
という頑固な、ストイックな姿勢、
考えがあるようで、
それ以上私がどうこう
言う権利もなく、、、、
また、そのストイックさは
むしろ、物書きらしさを感じ
好感を抱きました。

さて、それからしばらく
時間もたつと、
プチさえりさんが
ネット内に増殖していました。
日常に小さな幸せを探そう、
みたいなスタイルの記事が
もはや、定番となり、
今ではテンプレにさえ
感じるようになりました。

気づけば、さえりさんも、
オリジナリティを失って
今ではすっかり勢いを失ったように
私の目には映るのですが、
それは、プチさえりさんを
ネットやSNS内に溢れさせたから
なんですよね?

時代というのはいつも
皮肉な回り方をするようです。

どんな人も、いい時がずっと
続く訳ではありません。
栄光な時代のあとには、
苦難の壁がやってきて、
また、そこで悩んだ体験から 
あたらしい時代に移れる、
人生はそんな繰り返しのように
思えてきます。

ライターには何が必要か?
ライターにはどんな人が向いてるか、
なんて、どうでもいいんですね。

そんなことを考える暇があるなら、
もうどんどん記事を書けばいい。

あの物知りライターさんに、
自己プロデュースの時代だから、
なんて、本当、余計なお世話でした。

ライターさん、どうしてるかな?
人には、人の数だけ、
生き方があっていい。
私は大事なことを忘れていたんです。

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