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映画館で出会う吉岡里帆が輝いている

女優・吉岡里帆から目が離せない。

先月公開がはじまった最新作「泣く子はいねぇが」は素晴らしかった。大人になれない主人公・たすくを見放し、地元でシングルマザーとして奮闘するたすくの元妻・ことねを熱演。強烈なインパクトを残した。頼んだ買い物もしなければ、まともに子どもをあやすこともできない夫に投げかける、あの恨みと諦めの入り混じった冷たい眼差し。事態の深刻さに気づかず、ヘラヘラ笑ってごまかそうとするたすく=仲野太賀の演技も見事だが、夫婦のあいだに何があったかを一瞬で語りきってしまう吉岡里帆の佇まいには、有無を言わせない迫力があった。元妻にあんな目で見つめられたらたいていの人間は立ち直れないだろう。スクリーンからはみ出してしまうキャラクターの生き様を、演者同士の呼吸のリズムで瑞々しく表現している。観客がこの物語にのめり込めるかどうかは、主演の仲野太賀以上に、その受け手である吉岡里帆にかかっているとすら言えると思うが、彼女はその期待に見事に応えていた。彼女のファンを自称するなら絶対に見るべき映画だと断言できる。

しかし、吉岡里帆が女優として目覚めたのは、ここ最近のことではないかと思う。僕の中で長らく彼女のイメージは「アイドル女優」であった。

彼女をいちばん最初に知ったのは、たしか週刊プレイボーイのグラビアだったと記憶している。友人が可愛い可愛いとさわいでいるのを横目に見て、あたらしいグラビアアイドルが出てきたんだな、程度に思っていた。しかし、本人は後年、デビュー当時を振り返って「本当は水着グラビアはやりたくなかった」と語っている。それもそうだろう、彼女は最初から演技をやりたくて芸能界の門を叩いたのだから。いくら売れるための事務所の方針とはいえグラビア仕事を振られ、その評価ばかりが先行してしまうのは不本意だったはずだ。僕が言えた話ではないのだが、意思に反して自分の身体が消費されてしまう恐怖はいかばかりかと思う。倉科カナやMEGUMI、小池栄子のように、グラビアアイドル全盛期に人気を掴んで、そのまま存在感ある女優として確固たる地位を築いた先人も少なくない。吉岡里帆も確実に順調なキャリアを送っていると言えるが、はじめについてしまったイメージを(けっしてグラビアアイドルという職業を低く見ているわけではない)払拭するのに時間がかかるのは事実である。じっさい、このあと演技の仕事に軸足を移してからも吉岡里帆はしばらく「アイドル女優」的な側面が強かったと思う。

吉岡里帆はグラビアアイドルとして一定の層から人気を獲得した後、2016年頃から一気に「女優」としての売り出されるようになる。「ゆとりですがなにか」を皮切りに立て続けに民放連ドラに出演したほか、ゼクシィやUR都市機構、DICなど大手企業のイメージキャラクターにも起用され、その知名度を上げていく。極めつけは坂元裕二脚本「カルテット」での怪演だ。アリスちゃんのピュアに世の中を舐め腐った邪悪さは、その清楚な印象の外見とのギャップも相まって、満島ひかりや松たか子など名だたる俳優陣に引けを取らない強烈な爪痕を残した。吉岡里帆のキャリアの中でこの役はある種の運命的な出会いだったのではないかとすら思っている。ぐんぐん露出が増えていく中で、ただ見た目だけで判断するんじゃねえ、ちゃんと演技を見てから評価しろよ、という気迫がテレビ画面から漂っていた。僕もこの「カルテット」をキッカケに、吉岡里帆がとんでもないポテンシャルを持つ女優なのだと知ったひとりである。

しかし「カルテット」後の2~3年間の彼女の出演作は、ことごとくハズレだった。世間一般的には、右肩上がりの順風満帆なキャリアという評価になるだろう。ただ、僕にはホームランを狙ってひたすら空振りをしているようにしか見えなかった。端的に言ってしまえば、彼女のポテンシャルを活かせるような仕事がさっぱり回ってこない、全然当たり役を引けない時期が続いてしまったのである。「ごめん、愛してる」での幸薄な恋人役や、「きみが心に棲みついた」の弱気な主人公のキャラクターは、ある意味、彼女の色白で儚げな雰囲気を見込んだ配役だったのだが、個人的には空回りしている印象だった。彼女はなにごとにも全力でハングリー精神に溢れている分、その真面目さが時に窮屈で自由を奪ってしまっていると感じられるときがある。「きみが心に棲みついた」は向井理との相性も悪く、ただただ気の張った演技を見せられている気分になった。言い方は悪いが、見ていて疲れるのだ。「健康で文化的な最低限度の生活」や「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」も、作品の出来の悪さが手伝ってあまり良い評判は聞こえてこなかった。その結果というべきか、彼女は「綾鷹」や「どん兵衛」など有名商品のCM出演も続き、「CMタレント」としてさらなるステップアップを遂げる一方で、俳優としてはいまいち殻を破りきれず、「アイドル女優」の枠を脱しきれない時期がしばらく続くことになる。

吉岡里帆のブレイクスルーになったのは、もちろん2019年公開の「見えない目撃者」である。優秀な警察官の卵でありながら過失により交通事故を起こし、弟を死なせてしまった上に、視力を奪われて夢を諦めざるを得なくなった主人公・なつめを熱演した。「カルテット」のアリスちゃんとは180度違う役だが、完全にキャラクターを自分のものにしている。先に書いたように、インタビューや演技からにじみ出る吉岡里帆のストイックさには重さを感じてしまうのだけど、却ってそれがなつめの役にはハマっていた。自責の念にかられながら、正義を果たすため、周囲の偏見や嘲笑を押しのけ奮闘し続ける。誰も仲間になってくれなくたって、私は私の直感を信じる、何を言われようと犯人のしっぽを掴んだ自分が動かなければ…。なにかに急き立てられるように全力で走り続けるなつめの姿に、可愛らしい見た目からは想像もつかない暑苦しさでキャリアを開拓してきた吉岡里帆の生き様が重なる。僕は「見えない目撃者」を見て、やっと彼女は女優として本来居るべきポジションにたどり着いたなと思った。被写体としての魅力、役者としての力量をいかんなく発揮していたのだ。じつは一本前の出演作「ホットギミック ガールミーツボーイ」ですでに覚醒の片鱗を見せていた彼女ではあったが、なにより「見えない目撃者」のクオリティがこの年のサスペンス映画の中でトップクラスだったことも大きい。完全に運要素ではあるものの、面白い映画に出られるかどうかは俳優のキャリアをかなり左右すると思う。

そのあとの主な出演作としてはテレビドラマ「時効警察はじめました」や、劇場アニメ「空の青さを知る人よ」、それから映画「Fukushima 50」がある。相変わらず「音量を上げろタコ!」や「時効警察」のようなコメディは相性が悪い気がするが、一方、シリアスな演技は歳を重ねるごとに厚みが増していると思う。「空の青さを知る人よ」では、主人公の姉・あかねを演じた。唯一の家族である妹のために、いろいろなものを我慢したり、諦めたりしながら懸命に生きてきた健気な大人の女性だ。吉岡里帆の素朴な声が、堅実な道を選んできたあかねのキャラクターにうまくマッチしていた。「Fukushima 50」では、福島第一原発事故の現場対応を指揮する主人公・伊崎(佐藤浩市)の帰りを待つ娘・遙香の役を任されている。これといって特筆すべき点のある映画ではなかったのだが、「ホットギミック ガールミーツボーイ」同様、バイプレイヤーとしてもしっかり味のある演技を見せてくれることに、いちファンとして大いに感動したのを覚えている。

「見えない目撃者」で覚醒し、「泣く子はいねぇが」でひとつ上のステージに上がった吉岡里帆のフィルモグラフィーを振り返ってみると、いい意味で彼女は「目立ちすぎなくなった」のではないかと思う。作品の世界観にアジャストし、「吉岡里帆」ではなく、与えられた「キャラクター」としてスクリーンの中に居るのである。初期に比べて役の幅も広がり、作品の中で出会うたびに違う顔を見せてくれる。活動の軸もテレビドラマから映画に移りつつあるが、俳優として着実にステップアップを続けている。しかし、残念ながら世間的にはまだまだ「演技派」のイメージは定着していない。広瀬すずも同じ現象に陥っているが、CMや広告でたくさん見かける分、映画を見ない人からは妙に本業を過小評価されているように思える。すでに代表作といえる映画を何本も抱える実力はあるのに。僕はもっともっと吉岡里帆の演技を見たい。そして、彼女の俳優としての評価がいままで以上に高まることを期待している。

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