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大切なともだちが、母になる夜に

さっきInstagramを見ていたら、趣味アカウントの方でもフォローしている友人が妊娠中であることを知った。産まれる前に焼肉に行けた、とかそんな内容のストーリーだった。


一年前に会った彼女は学生時代から知っている彼女のままだった。努力家で、努力を努力と思わず、高潔で、明るくて、まっすぐな友人だ。私にないものを全部持っているな、と思うのに、私が自分の欠陥を意識しなくてよくなるくらい、素晴らしい友人だ。


そうか、彼女に子どもが生まれるのか、と思うと、私の人生で遠ざけていた子どもに関する鬱屈とした気持ちが嘘のように晴れていった。


弱い私、だめな私、うまく人生をやれない私。

子どものことを、それらを決定的に突きつける通信簿のような存在のように思っていた。けれど、彼女の妊娠を知って、そんな恐ろしい子どものことを、なんて素晴らしいものなんだろう、ところりと思った。たぶん日本語が変だけれど、そう思ったのだ。


去年の夏、そのときも心と体が絶不調で、連絡をくれていたのに、彼女を含む友達と遊ぼうという約束に返信ができなかった。返信しなかった。


無為にすぎていく時間に浮かびながら、どのツラを下げて、どの話をもって、約束の場所に行けばいいのかわからなかった。どう存在したらいいのか、わからなかった。


そんなこと、絶対に気にしなくていいのに、当時の私はどうしても怖かった。なんどか連絡をくれたたびに、怖くて、今も怖くて、勇気が出ないままだ。


彼女の子どもが生まれるのだ。

その事実が自分の中に落ちてきて、俺は絶対に生き返りたい、と思った。


ちゃんとあの日のことを謝りたい。そしてちゃんと社会に戻りたい。その相談をしたい。大変な中だろうけど、きっと彼女は相談に乗ってくれるだろう。そうでなくても、聡明なお友達としてお茶がしたい。

そして、強く、元気な大人になって、彼女の子どもが生きていく未来の社会を健やかで楽しくて素晴らしい場所にする手伝いがしたい、とマジで思った。どんな小さな力でも、頑張ってみたい。やれることを精一杯やって、疲れて、部屋に帰ってきて、SNSにあがっているだろう彼女の子どもに心からのいいねをしたい。


がんばれ、がんばれと私の中のありたけの勇気を振り絞って立ちたい。私は、私がやれるべきすべてやってみたい。自分で、自分のことをもう一度信じたい。私を襲い続けてきたこの恐怖に、もう負けたくない。

ずっと不安な悲しい気持ちで押しつぶされた一日を今日で最後にしたい。すさまじい強さで吹きつけた今日の春一番に、弱さを全て吹き飛ばしてもらいたい。

どんなに後ろからの不利なスタートであっても、立ち上がることさえできたなら。いつからでも、どこへでも人間は行けるのだと、昨日読んだ、わたしが最も信頼している漫画に書いてあったのだ。

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