糖と脂肪の吸収を抑えるタミフル

あかりはイラストを描く手を止めて、山路など歩んでもいないのにこう考えた。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。扇風機の前で「あーーー」と声を震わせながら、お昼寝とお散歩のどちらを優先すべきか悩んでいた。

お散歩にしよう、と思ったのはいいが靴を履く気にすらなれない。「無駄が多すぎるなぁ」なんて独りごちて書棚からマンガ本を取り出し、パラパラと眺めはじめた。しかし無駄が多い。今だってそう。私はマンガを読む気なんてない。ただこうしてなんとなくページをめくるだけ。虹彩で調整されない文字は、頭に入ることもない。じゃあどこへいくんだろう。言葉の数々はたどり着く場所もない。浪人みたいにふらふらと、どこかを歩き回っているのだろうか。

ふと怖くなって、あかりはマンガ本を書棚に戻し、靴を履いて外に出た。薄青いよく晴れた空が7月に合っていた。安心してのんびりと歩く。山にいきたいなぁ、なんて思う。思ってもいないのに、思う。小さなヤブ蚊がぶんと耳の横をかすめたので、頭を振った。いま、私馬鹿みたいだなぁって、そんなことを考えた。

コンビニでカップのアイスコーヒーを買う。夏の氷は愛おしい。コロン、カランと固形がぶつかる音がする。コロン、カラン、カラ、カランとカップであそびながら、あかりは「無駄」というなんともネガティブな2文字を空想した。『無駄、なんて、きっとない』。みたいな広告をどこかで見たなぁ。なんのPRだったかしら。忘れたけれど。でも無駄と有用の違いはきっとあって、それは人だったり物だったり時間だったりお金だったり感情だったり。なんなんだろう。私、すごく無駄なことをしている。

令和はじめてのせみが鳴いた。からっぽのなかで鳴いた。みぃんみぃんと声が伸びるのを聞くうちに、あかりは不思議と泣きそうになった。およそ100時間しか残されていないせみは、翅にちからを込めて鳴く。あかりは胸が詰まる。いや本当は喉と心臓の間、何と呼ぶのかも分からない部分。そこがいっぱいになって鼻が少し痛む。さらさらした鼻水がすーっと落ちてくる。それを吸い込むとともに右手のコーヒーを強く握った。がしゃ、といってフタが外れる。黒い液体がふちからあふれて地面を汚した。胸が苦しくて、カップはつぶれる。透明な氷はいくつか砕けてこぼれ、アスファルトで溶けていく。みぃんみぃんが変に大きくなって、あかりはあぁ泣く、泣くと思っていたが、とうとう涙は一滴も出なかった。

小さな公園まで歩いて、黒っぽく汚れたアイスコーヒーをベンチに置いて、自分も腰掛ける。スマートフォンを取り出して、どこか遠くの茂みに向かって投げ捨てた。小学生だろうか、平日だというのに昼間から数人の少年がサッカーをしていた。1人は右手に虫取り網を、首から虫かごを下げて笑いながら走り回っている。あの激しく揺れているかごには何が入っているのだろう。そういえばもう、セミの声はしない。

あかりは、カバンから手帳とえんぴつを取り出してさらさらと男の子を模写することにした。汗の1粒1粒まで、ちゃんと見てあげよう。そう思って筆を滑らせた。別の子が蹴ったボールが、さっき明かりがスマートフォンを捨てたあたりの茂みまで飛んでいく。あかりは「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と思い、なぜかすこし笑った。

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