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三年目の浮気ごときを大目に見られなかった

夜の空を見上げたときに、月よりも星が気になったら冬の始まりだ。あのころはまだ月を見つめていた。季節は秋。あれから二度目の秋を迎えているわけだけど、相も変わらず苦しい。止まらない涙は月の引力のせいかもしれない。

浮気はされた時点で負けだ。
唯一無二に返り咲けるはずがない。

浮気された瞬間に不平等条約が締結されて、苦しむのはいつも被害者だ。なのに加害者側は「自己嫌悪」と言って苦しそうにしている。許してもらえないことを嘆く。そして「おまえのせいだ」と言って離婚を希望する。そうですか、わたしのせいですか。

許すも地獄。許さぬも地獄。わたしはこんな仕打ちを受けなければならない何かをしたのだろうか。浮気の話を少しでも出すと「その話をすれば自分が優位に立てると思ってるんでしょう」と言われた。ズルい女のようなレッテルを貼られたが、わたしはただ、誠意を持って謝って欲しかっただけだ。罪悪感に苛まれるのではなく、真剣に向き合って欲しかった。できれば許したかった。離婚は最悪の選択肢だと思っていた。それの何がズルいのか、教えてほしい。

許したかった。本当に。
少しだけズレた歯車を、一生懸命戻すことで、数十年経ったのちに「あんなこともあったね」とふたりで笑いたかった。

ただ"上手に"許せなかったのだ。

許して許してと言いながら、彼の方から相手の女の子に「最後にもう一度会いたい」と食い下がっていたことを知り、くだらなすぎて、わたしは泣くどころか笑った。一頻り笑ったあと、肩を震わせ、声を押し殺し、結局泣いた。

わたしの愛を、それは別にもう美しいものではなかったかもしれないけれど、だけどわたしなりに優しく育ててきたその愛を、土足で、無慈悲に踏みにじる。許されたいと彼は言うけど、ならばなぜ平気な顔でそんなことができるの。

そうして、上手に許せないわたしに対して彼が音を上げたのは浮気が発覚してから一ヶ月ほど経ったあと。季節はもう冬だった。

「もういいや」と言われたのをよく覚えている。それはまるで「こっちが謝っているのに許してくれないならもういいや」という言葉に聞こえたし、事実そういう意図だったんだろう。

それからは、浮気の話を持ち出すと先述の通り語気を荒げて反論された。この期に及んでその話を出すわたしが「ズルい」のだ。彼が離婚したい理由は浮気とはまったく関係がなく、ただ「わたしのことがもう好きではないから」だそうだ。彼が羅列する「わたしの好きではないところ」のほとんどが、結婚前の出来事に起因していて、なぜ今さらそんなことを言い出すのだろう、と、わたしは頭がクラクラした。女性にこの話をすると、みんな「最低」と言う。男性は口を揃えて「ダセェ」と言う。わたしもそう思う。最低でダサいのだ。

そこから丸一年。
もうほとんど記憶からもこぼれ落ちた、つらい日々が始まる。わたしは「顔も見たくない」「口もききたくない」という状態ではなかったし、関係修復に向けてごく自然に接していた。ごく自然に接するように精一杯努力しながら、日々、彼のボーダーラインを探っていた。

ある日の休日、彼が家を出ようとしたときに「どこ行くの?」と、ごく自然な会話をしていた際に、彼の冷たい物言いや態度に思わず涙がぽろっと零れてしまったことがあった。そのとき「うわ、休みの日に気持ちよく出かけようと思ったのに本当に気分が悪い」と言われたことがあった。吐き捨てるように家を出ていったけれど、あのときのことは、彼の表情まで、なぜか鮮明に覚えている。「うわ」という言い方が、とても嫌だった。明確な拒絶がわたしの心に残した傷は、たぶん今も消えていない。

だけど、冷たい態度よりも何よりもわたしを傷つけ苦しめたのは無視だ。
「おはよう」と声をかけても、なんの反応もない。夜は夜で、テレビを見ながらそれなりに"ふつう"に会話をしていたかと思うと、黙って寝室の方にふらふらっと歩いていこうとするので、「おやすみ」と声をかけるが、これもなんの反応もない。「いってらっしゃい」も「おかえりなさい」も同様だ。一貫して彼はわたしを無視するので、さすがにそれは傷つくから辞めて欲しい、わたしのことを好きかどうかは別として同居人(そもそも別居を申し出たら、それは何故か拒絶された)として挨拶はすべきだと伝えると「俺がいつ無視した?」と言うので空いた口が塞がらなかった。あれが意図的でないというならなんなのだろう。
無視され続けることは想像以上に苦しいことだった。これまで生きてきて、誰かに露骨に無視されることがなかったので知らなかったけど、子どもに対する「ネグレクト」は立派な虐待になるので、人間の心というのは"無視され続けること"で壊れてゆくことを知った。

一年は長かった。

春の思い出はなにもない。
夏は彼の家族と旅行することになっていて、義父が楽しみにしていたのを知っていたので彼を説得して参加した。自分がそれを楽しいと感じていたかはわからないけど、わたしたち以外の家族が楽しそうにしている姿を見ることができてよかった。わたしはこの家族が好きだった。

秋に離婚を決断した。
やっぱり悲しいのは秋なのだ。
辛い状況に耐えきれなくなったわたしが「もう離婚でいいです」と言った。その日も玄関で彼を「いってらっしゃい」と見送ったあと、その返事が来ないことに傷ついて、ドアが閉まった瞬間に、その場で蹲って泣いたんだ。堰を切ったように溢れる涙に、わたしはわたしの限界を見た。もうとっくに超えていたのだ、限界なんて。こんな生活を、誰のために続けているのだろう、と思うと、もうよくわからなかった。友達や自分の親は彼から離れることをずっと勧めていた。逆に義母はわたしに「頑張って」と悪意なく言い続けた。わたしは誰のために頑張ればよかったのだろう。わたしには何度そう言ってもいいから、せめて自分の息子に一度だけ、頑張りなさいとお義母さんから言って欲しかった。

冬が来るころ、わたしは実家に戻るための準備をしていた。
実家の自室にある不要なものを片っ端から捨てた。それはもうものすごい量を。わたしにはもう大切に持っておきたいものなんてほとんどなかった。思い出なんてなにもいらない。心の中でずっと輝いていてくれるものだけでいい。そして壁紙を自分で張り替え、汚れた天井を自分で塗った。床も新調した。毎週末実家に行き、少しずつ少しずつ変わっていく部屋に、大きな希望を見出した。ここでまた新しく暮らすこと、この家ではもう誰もわたしのことを無視しないこと、いらない思い出を捨て それにより生まれる心の隙間に新しい何かを埋めてゆけること。それは間違いなく大きな希望だった。

離婚について、たいした話し合いもしないまま、クリスマスイブにわたしたちは野毛にいた。メシでも食いに行くか、と彼が言ってくれたからだ。わたしが無視されるのは、なぜか挨拶だけで、わたしたちは食事のときは決まって楽しく会話を続けていた。それがたぶん、わたしに(或いは彼にも)離婚を決断させるのをずっとずっと悩ませていた大きな要因のひとつだろう。ケラケラ笑いながらワインを飲んだ。わたしは実家の部屋の変貌っぷりを自慢げに話していた。彼に「どうしてそんなに頑張るの?」と聞かれたとき、危うく持っていたワイングラスを落としかけた。そうか、この人は、そんなこともわからないのか。
ふふっと笑ったら、涙がぼろっと溢れてきてしまった。わたしが泣いたら、彼も泣いた。わたしたちが、離婚をしなきゃいけない理由が、わたしにはこの期に及んでよくわからなかった。彼はなぜ、浮気をしたのだろうか。彼はなぜ、もう好きではないと言って 結婚前から知っていたであろうわたしのパーソナリティにケチをつけたのだろうか。だったらなぜ、わたしと結婚したいと思ったのだろうか。わたしがもう少し耐えていたら、離婚したがる彼を手放さずにいたら、なにか変わったのだろうか。

酔った勢いで彼の手をとろうかと思ったけれど、どうしてもできなかった。拒絶されるのが怖かったし、それになんの意味もないこともわかっていた。頭で考えるほど、わたしは本当はもう彼に触れたいという欲求がなかったのだろう。わたしはただ離婚をしたくなかっただけで、彼と同じように、彼のことを もうこれっぽっちも好きではなかったのだ。


今宵も月がきれいだ。
だけどじきに星が瞬き出す。冬の空気を纏って。月の存在なんて忘れるくらい。或いは新月を心待ちにするほどに。わたしは冬の折れそうな細い月が好きだ。一年前、折れそうで、でも折れることもなく、何かの影にひっそりと身を潜めながら、それでも必死に生きてきた自分を想う。そんなに泣かないで。大丈夫だよ。許せないものは、許さなくたっていい。

あとがき

2020年の秋、わたしはげっそりしていた。
2019年のことを思い出しても、2018年のことを思い出しても、秋はつらいことばかりだったから。浮気をされ、蔑ろにされ、モラハラ、暴言、エトセトラ。まったくの冤罪だけど、ある朝、元夫が「俺の携帯見たでしょ」と冷ややかに笑いながら言ってきたことがあった。常に被害者ぶりたい人ではあったけど、ついに被害妄想をし始めたか、と怖くなった。静かに、笑いながら、こちらを問い詰める。サイコパスという言葉がよく似合っていた。ちなみに携帯は本当に見ていない。既にそのころは彼に他に女がいようとも、もはや興味がなかったので。

元夫のサイコパスエピソードはたくさんある。2019年の暮れに離婚届を提出したわけだけど、その日に提出することに対しての双方の合意もないまま、朝、わたしの欄もほぼすべて記入された離婚届を差し出され、署名を求められた。「署名だけは俺が書くとダメだからさ」と笑っていたので「こいつ本当に頭大丈夫か?」と思った。証人欄には知らない人の名前がふたつ並んでいた。離婚すること自体は決めていたけれど、いつ離婚するかという話し合いをしたわけではなかった。財産分与や住宅ローンの手続き(連帯債務だったので、彼の単独ローンに借り換えが必要)も何もしていなかった。離婚をしたくないという気持ちは皆無だったが、心の準備は何もできていなかったのでひどく戸惑った。そして何よりお金の絡む手続きを何もしないまま、籍だけ早く抜きたがる彼を、やはり「頭、おかしいのかな?」と思った。

浮気が発覚したとき、元夫は「俺はいつも大切な人を傷つける」というドラマティカル(というかなんというか)な台詞を口にした。「誰と付き合っても浮気をしてしまうということですか」と聞くと「そうではないけど、自分を想ってくれるきみにこんなことをしてしまったし、親が望むような子どもではなかったし」と言う。「自分はそういう人間だから、いま自己嫌悪で苦しい」ということを言いたいわけだけど、泣きたいのは浮気されてしまったわたしのほうだよ、と何度も思っていた。なぜ、浮気をして罪悪感に苛まれている元夫を、浮気をされて不信感を募らせているわたしが「大丈夫だよ、普通に過ごそう」と励まさなければならなかったのだ。そんな優しさも一ヶ月が経つ頃には踏みにじられ「おまえが悪い!おまえが悪い!あれもこれもぜんぶ本当は嫌いだった!でも今まで我慢してた!もう限界だ!離婚だ!」と言われるのに。彼が親の望むような子どもでなかったかどうかの真相は定かではない。あのご両親が、彼に対して「こうあってくれ」と強制することはなかったのではないかな、と思うので、それもまた彼の被害妄想なんだろう。「自分が情けなくて苦しい」といった類の。ただ、彼の母親もまた「もっと愛情を注いであげればよかった」と言っていたので、根深いな、と思った。強制せずとも腫れ物に触るように過ごしていたのだろうか。

籍だけ先に抜かれたわたしは、元夫と離婚後にお金についてやりとりをしなければならなくなった。それがわたしにはとてもつらかった。判断力も鈍っていたので、なぜか浮気された側のわたしがお金をとられるロジックに持っていかれてしまったけれど、それでもなお早く縁を切りたかった。お金で解決するなら安いもんだった。わたしにはお金がなくても、幸せになれる要素はたくさんあったけど、彼にはきっと救いがお金しかなかったのかもしれないと思った。

結婚生活は4年間。うち1年は上記の通りなので、幸せだったのは3年間。結婚前の2年間も含めて5年間。あの5年間は本当に美しい日々だったように思う。彼が若い女の子とよろしくやった翌日、うれしそうに「きみと結婚して本当によかった、毎日楽しい、家族がみんな仲良しでうれしい」と語っていた。まさか、浮気をしたことによる取り繕いだなんて、その当時は気付くはずもなかった。

元夫のことを、今でも憎んでいるかと聞かれたら、正直どうでもいい。万全の準備をして最後に籍を抜く、というプロセスを踏めなかった分、離婚後も度々やりとりが発生し(それは彼起因のものもあれば、わたし起因のものもあった)わたし自身は一向にスッキリできなかった。「これが最後だ」という一太刀が、わたしにはどうしても必要だった。わたしが許せなかったのは、彼のご両親が何も知らないことだ。何も知らず、彼の「円満な離婚をした」という言葉を信じ、まさかお金の無心を元嫁にしていることなどいざ知らず、わたしの苦しみを理解しようともせず呑気に暮らしていることだ。「知らないことが最大の悪」とはよく言ったものだ。事実を知って欲しい、それを信じるか(息子が一番可愛いかどうか)はどうでもいい。そして、こちら側の連絡を受けて彼のお母さんからは開口一番謝罪があったが、お父さんが「イライラしながら打った」という文章には謝罪の意はなく、息子は息子なりに頑張っているとでも言いたいような内容の返事が届いた。

むかし、元夫がわたしに対して「素直にありがとうとごめんなさいが言えるところが好き」と言ったことがある。そのときは、そんな当たり前なことをどうして?みんなそうじゃないの?と思っていたけれど、彼と彼の父親が、まさに「素直に謝れない人」だということに気がついた。特に彼の父親からは「非を認めたら負けだ、断固として謝るもんか」という気概を感じた。寂しい人だと思った。意図せずとも、相手に不快な想いをさせてしまったら「ごめんなさい」と伝えるのは、愛の一種だと思っている。それを知らずに生きていることを、可哀想だと思った。

総じて、離婚をしてよかったとしか思わない。
わたしの離婚を受けて、気の毒そうに接する人は誰もいなかった。みんな「よく決断したね、これからたくさん幸せになれるよ」と優しくわたしを受け入れ、未来に向けて歩き出す後押しをしてくれた。

季節はもう冬どころか春が訪れようとしている。どんどん巡っていく季節に、自分の気持ちの変化を見出す。わたしは再び東京を出る。大きな愛に包まれて。次に住む予定の場所は、東京よりもきれいに星が見える。

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