祖父との最期で不思議に感じた葬式のこと。僕は燃やされたくなんかない。

コンテンツと言ったら不謹慎かと思われるかもしれないが、今回は葬式を取りあげたい。

先日、祖父の四十九日があった。祖父がなくなった直後は思うことはあったものの、いろいろとやることがあり、書けなかった。いいタイミングなので備忘録として書き残しておきたい。

祖父は若い時は群馬県北部、新潟と県境近くの町で左官屋を経営していた。何のきっかけがあったかは忘れたが、時代がすぎ、左官屋の仕事を止めて49で近くの工場に勤めるようになった。70で退職後は僕ら孫とゴルフをしたり近所の仲間とゲートボールをしたりして楽しんでいた。そんな祖父を襲ったのは急性心筋梗塞だ。急いで病院に駆け込んで一命をとりとめ、入院した。それからの経過は、弱っていながらも順調で3日後には退院というときに、もう一度心臓がやられた。苦しみ始めてから1時間ほどで帰らぬ人となってしまったそうだ。そのあまりの急な話に、母から連絡を受けた僕は「嘘でしょ?」と返してしまったほどだ。そんな連絡を冗談でしてくるわけはないのだが、当時は本当に受け入れられなかった。その日、帰省する新幹線の中で「俺は認めない」と何度も思った。数日たっても実感はわかなかった。自分は告別式で弔事を読んだから、きっとおじいちゃんは死んだんだと言い聞かせて無理やり納得させたぐらいだ。

葬式の日は大雪だったのに会場にあふれるほどの人が来てくれた。おそらく中卒の祖父は僕が東京の大学に行ったことや海外留学したことを親戚などに自慢げに話していたが、そんなことよりも最後のお別れに大勢の人が来てくれる生き方をしていた事を僕は自慢に思う。自分が満79歳で死んだとしてそんなに大勢の人が来てくれるか、正直自信はない。

そんな祖父との最期で不思議に思ったことがあった。

1. なんだか近くに来たようで遠い

2. 燃やされたくなんかない

3. 会えるなら絶対会っておこう

これが本当に恐ろしいこと。2年前にもう一人の祖父がなくなった時は体調が急変してからなくなるまではそれほど急ではなかった。当時のCTO原永さんに祖父の状況を伝えると「すぐに会いに行ってあげたほうがいいんじゃないか?」と言われた。その時はあまりピンとこずに呑気に仕事していたが、今となってはわかる。会えるのであれば絶対に会いに行ったほうがいい。今回のように最後のお別れの言葉を交わすことが不可能なことだってあるのだから。会えるチャンスがあるというのはとても恵まれていることである。


祖父の死に際して感じたことを書いてみた。祖父の冥福を祈る。


ps. 

納棺の時はおくりびとの世界観そのままだったように思います。葬儀会社の方がなぜか僕のことを気に入ってくれ、お互いの仕事のことなどいろいろ話しておもしろかったのですが、それはまたの機会に。


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