見出し画像

【短編小説】 「インスピレーションの女神様」が備え持つ特質を、人間行動科学の見地から考察した文学的レポート

 インスピレーションの女神様は、なかなかに意地の悪いお人だ。
 僕は半裸姿で座布団の上にあぐらをかき、額にかかった油っぽい前髪を遮二無二掻き上げたり、無精髭を意味もなく親指で擦ったりしながら、
(もういっそのこと、全部ダメになっちまえばいいのに)
 そんな破れかぶれな思考と戯れていた。
 周囲から見下されるばかりの三流クリエイターとして底辺を蠢き続ける人生は、もうまっぴらごめん。これ以上はご勘弁被りたい。
 そこで心機一転、よし!と僕は膝を打つ。
 もはや腐れ縁と化しているこのお笑い草な悲劇的状況を綺麗さっぱり払拭するために、インスピレーションの女神様がどんな人間を毛嫌いする傾向にあるのか、この際、とことん考察してやろうではないか。
 ……なんて気合を入れてみたは良いものの、ハハッ、これはどうもあれだな、とうとう僕にも巷でいうところの「ヤキ」ってやつが回ったらしい。
 追い詰められた三十路男の哀しい戯言に、話半分でもお付き合いいただけたら幸いだ。

 それでは本題に入ろう。

 まずはじめに、インスピレーションの女神様は焦っている人間をめっぽう嫌う。
 締め切りに追われている只中、あるいはアイディアに煮詰まっている最中、何か実になるものをください、頼むからお願いします、なんてやっている時に限って、その美しい顔を曇らせ、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「まったく、仕方のない人ね」
 宿主の哀れな七転八倒ぶりを見るに見かねて、お情けの原石を授けてくれることも、まあ、あるにはある。
 だが、そんなことを何度も繰り返すうちに、ある時からぷっつりと口を利いてくれなくなってしまったという事例は、枚挙に暇がないと伝え聞く。
 次に、彼女は強欲な人間を嫌う。
 あいつを打ち負かしたい。世間の鼻を明かしてやりたい。誰彼構わずに己の有能さを見せつけ、やたらめったら称賛されたい。そんな不純極まる動機をぶらさげている奴からは、
「……」
 無言のうちに一定の距離を保つ傾向にあるようだ。
 偏執的な負けず嫌い。異常な目立ちたがり。病的な認知渇望欲。これらはこれらで、使いどころを見誤らなければ大きなアドバンテージにもなり得る。
 しかし、優雅な立ち振る舞いを常に心がけている彼女からしてみれば、そういったクチはちょっと下劣に見えるというか、どうしたって品性に欠けるのだろう。
 最後に、女神様は自分自身を卑下している人間に対して、生理的な拒否反応を示す。それはもう、容赦なく。
 己の可能性を信じきれていない奴にいくら優れたインスピレーションを授けたところで、だいたいは骨折り損に終わってしまうことを嫌というほど知っているからだ。
「私、ウジウジした人は嫌い」
 これはある意味合いにおいて、彼女が生来備えているなかで最も厄介な特質といえるだろう。なにせ端っから自信満々でいられたなら、こちとら苦労なんてしていないのだから。
 自分に確固たる自信が持てないからこそ、一発逆転・一撃必殺のインスピレーションを武器に、差し迫った難局を打破しようと僕たちはもがきにもがくのだ。
 そのような人間特有の哀しい性を、彼女はなかなか理解してくれない。いや、理解しようともしてくれない。

 さて、君のことならきっと早々に察しがついていることと思う。
 より早く、効率的に。勝ちさえすれば、儲けさえすればそれで良い。そんな成功至上主義が根強く幅を利かせている昨今の資本主義社会と、マイペースかつ慎み深い姿勢を頑として崩したがらないインスピレーションの女神様は、水と油ほどに相容れない間柄であるということを。
 その相性の悪さは、不本意な縁談によって結ばれた仮面夫婦のそれに例えられるかもしれない。
「これまで色んな時代の人たちを見てきたけど、今の人たちが一番不可解。見境なく功をがっつく割には、自己肯定感が著しく低いんだもん」
 とは、僕が盗み聞きした女神様のひとり言だ。

 閑話休題。
 いよいよ締め切りを明日の夜に控え、にっちもさっちもいかなくなった僕は、
 其の一・焦らない
 其の二・強欲にならない
 其の三・自分自身を卑下しない
 以上の必須三箇条をしっかりと胸に刻み付け、夜の散歩がてら近所の温泉施設へ出かけることにした。

 湯舟に浸かって、特段見たくもないおじさんたちの醜悪な裸体を眺めながら、女神様の見目麗しい乳房を視界の端に探し続けた。
 大広間でやけに薄味なソフトクリームを頬張るのと同時に、両耳だけは抜け目なくそばだてておいて、彼女の細やかな息遣いを聞き逃すまいと注力した。
 ボロ雑巾みたいな漫画本の、古紙臭いページを適当にめくりつつ、鼻腔の先に彼女のかぐわしい香りを捉えようと粘りに粘った。
 しかし、女神様は一向に姿を現さない。その気配すら漂わせない。一体どうして、なぜ、と僕は思う。
 今の僕はおおらかな気持ちでゆったりと構えているから、はたから見ればなかなかに紳士然としているはずだ。
 ここへ向かう道すがら、噂にしか耳にしたことのない「博愛精神」とやらを脳内に強制インストールしておいたので、普段なら鬱陶しく思えてしょうがない、その辺のコンビニ前にたむろしていた悪ガキと不良の中間みたいな手合いたちにも、慈愛の眼差しを向けることができた。
 微塵もナヨナヨとしておらず、かといって、根拠なき自信家によく見受けられる不遜さも持ち合わせていないので、ついさっき、お釣りを床にばらまいてしまった売店の控えめなお姉さんに対しても、
「ああ、気にしないでください。僕、拾いますから。大丈夫ですよ、うん、うん」
 と、極めて朗らかな態度で接してあげられた。
(僕は頑張ってあなた好みの男を演じているんですよ。起死回生のアイディアをくださいなんて欲張りなことはもう言いませんから、せめてそのお姿だけでも拝ませていただけないでしょうか?)
 個室トイレの便座に長時間腰掛け、身もふたもない祈りを捧げてみたりもした。
 しかし、相も変わらず僕の周囲を取り巻いているのは無碍な沈黙のみ。こうなると、彼女がそもそも実在しているのか、それとも否か、その真相自体が危ぶまれてくる。

   やけくそになった僕は、大広前へ戻ってふて寝を決め込んでやることにした。
 今日という今日は、起きている時と寝入っている時の境目を見定めてやろうと瞼の裏で意識を集中させたのだけれど、ハッと気がついた時には、机の上に冷たいよだれを垂らし、やけにすっきりとしている己を発見していた。
「お客さーん。そろそろ閉めますよー。お客さーん」
 大仰なモップを手にした用務員のおばさんに遠くからせっつかれ、僕は
「あぁ……、うぇ? あ、はい」
 とだけ返事したのだった。頭のてっぺんをポリポリ掻きながら。
 首をだらしなく垂らし、机の上に広がったよだれの池をティッシュで拭き取る。
 すると、人生最古の記憶がフッと脳裏に蘇ってきて、せっかくの機会をみすみす逃すのも勿体ないからと、そのイメージとちょっと間遊んでみることに。
 お椀のなかの離乳食にテカテカとした指を突っ込み、無心で弄んでいる、とりとめもない記憶の断片。相反する懐かしさと新鮮さが、なんだか変な風に心地良い。
 その間僕は、普段から引きずり倒している数多の執着心を、どこかへ置き忘れていた。
 そもそも、即物的かつ利己的この上ない動機を携えてこの施設へやって来たことすら、無意識のうちに念頭から除外していた。
 起き抜け。童心。そして無頓着。
 ほんの束の間とはいえ、偶然にも三つのクリア条件を満たした僕に、インスピレーションの女神様は、とびきりの笑顔と、どこまでも柔らかな抱擁をプレゼントしてくださった。背後から、そっと優しく。
「最近、心を入れ替えて頑張ってるみたいだから、今日はたくさんあげちゃおうかな)
(ありがとうございます)
「だけど、人を無闇に見下す悪癖は今後慎むべきね。このままだと次はないわよ」
(肝に銘じます)
 その時、チクリとした忠告とともに、確変モードに突入したメダルゲームのコインよろしくごっそりといただいた原石の一部は、今、産みの苦しみに組み伏せられながらも、なんとかアウトプットした。だけど、これはまだまだ氷山の一角に過ぎないことを付け加えておく。
 全貌を君に見せてあげたいのはやまやまだが、できればまたの機会にさせてほしい。というのも、その他の原石の一個一個が公に向けて披露するに足るものなのか、それともただのつまらぬ石ころに過ぎないのか、どれにもほとんど磨きをかけていない現段階では、判断のつけようがないからだ。
 それよりも今はとっとと帰宅して、泥のような睡眠の続きを貪りたいのが偽らざる本音。
 だからもう、今日はこのへんでお開きにさせておくれ。それじゃ、どうもありがとう。さようなら。

ー後日ー

 先日は、最後の最後で眠気に負けて随分と横着してしまった。僕の戯言に最後まで付き合ってくれた得難い君だというのに、あんな突き放し方をしてしまって申し訳なく思っている。
 それでは本当の最後に、今日は書いても書いても一向に興が乗らず、スランプにのたうち回るだけの滑稽な僕が、女神様不在のなか、自力でひねり出したヤケクソにもほどがある駄文をここに書き記しておきたいと思う。(羞恥心は一旦棚上げしておくこととする)
 先日の夜、温泉施設から帰宅する道すがら、ダメ元でセンス抜群な締めの一文をおねだりしたがめつい僕に、案の定、彼女はピクリとも微笑みかけてくれなかったものでね。

 ゴホン、ゴホン、それではご清聴ください。
 一生に一度、あるいはせいぜい二度までしかお目にかかれないという、世のコモンセンスというコモンセンスを根こそぎひっくり返してしまうような超絶ヤバいインスピレーションの到来を待ちわび続ける君と僕とに、マックス最上級の幸あれ! 
 おやすみなさい。良い目覚めを。


この記事が参加している募集

私の作品紹介

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?