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【短編小説】 ユニバース ==≒=≒=≒=≒==≒==≒=≒=≒=≒= エレキギター

 よう、よく来たな。良いアジトだろ? ヤニ臭いのが玉に瑕だけど。
 まあ、その辺のアンプの上にでも適当に腰掛けてくれ。シールドの束に足を引っ掛けないように気ぃつけて。
 はい、コーヒーで良かった? ああ、これ? そう、昨日のライブで使ったエレキギター。俺の三十年来の相棒さ。
 ジャガーのサンバースト、と見せかけて、実はただのコピーモデル。でも、安物にしてはスゲー良い音出すんだぜ。
 せっかくだから弾いてみる? ほら。そうそう、ピックアップの上のあたりでシャランってやるんだ。な、良い音だろ?
 
 俺がこのギターを譲り受けた日のことなら、今でも鮮明に覚えているよ。あれは記録的なドカ雪に見舞われた、冬休み直前のとある師走日だった。
 下校の道すがら、いつものようにヒデの家に寄った俺は、狭っ苦しい畳部屋でミニアンプの前に体育座りして、あいつのたどたどしいギター演奏をニヤニヤしながら見守っていた。
 雪に濡れた学ランを脱ぐことすら忘れて、口を半開きにし、一心不乱にパワーコードを掻き鳴らしていたあいつの間抜けヅラ、今でも忘れられないよ。
「もう晩飯の時間だから、俺、帰るかな」
 リュックを小脇に抱えて立ち上がった俺に、いつになく寂しそうな顔をしたヤツはこう言ったんだ。
「あのさ、お前もギターやれよ。兄貴のお下がりが一本余ってるんだ。それ、お前にやるからさ」
 俺は「えー、いいよ」とか、「そんなの悪ぃよ」とか言ってヤツの申し出を何回も断ったんだけど、内心、飛び上がりそうなほどの興奮を抑えるのに、そりゃあもう必死だった。
 あくまでも渋々な体でギターを受け取った俺は、シンシンとした雪のなか、いつになくホクホクしながら帰路についた。
 台所のお袋に、
「今日は具合が悪ぃから食欲ない」
 なんて柄にもない大嘘をついて、ドタドタと自室へ。
 それから、頭に積もった雪をバッサバッサと振り落とし、石油ストーブを点け、ヒデがついでに貸してくれた、とあるロックバンドのライブ映像が収められたVHSをテレビデオに突っ込んだんだ。ギターケースから取り出した新たな相棒を膝に乗せながら。
 振り返ってみると、あの夜こそが、俺の人生におけるピークだったんだと思う。ヘッドホンのジャックを駆け上がってきた轟音に脳天をぶち抜かれた瞬間、俺は確かに宇宙と繋がったのさ。
 画面越しのフロントマンは自慢のムスタングをブンブン振り回し、ロクデナシな俺の存在を全肯定してくれていた。生まれたての赤ん坊をはるかに凌ぐ、魂の絶叫で。

 それからの俺は、ヒデを凌ぐ勢いでギターにのめり込んでいった。ヤツが丸三年かけてもマスターできなかった曲を軽々と弾きこなせるようになるまでに、ものの半年もかからなかった。
 次第に、自作の曲を収めたデモテープや、ありとあらゆるジャンルのLP・CDアルバムで、部屋中がいっぱいに。気がつくと、受験勉強にかかりきりになって忙しくなったヒデとは、時々しかつるまなくなっていた。

 地元のバカ高校に進学するやいないや、俺は待ってましたといわんばかりに誰彼構わず声をかけ、ついに口説き落とした同級生ふたりと、念願だったサイケロックバンドを組んだ。
 記念すべき初ライブのオーディエンスは、もちろん、進学校で課題やら期末試験やらに追われ大層忙しかったろうに、それでも律儀に約束を守って駆けつけてくれたヒデ。と、当時ヤツが付き合っていた、感じの悪ぃ無愛想な女。そのふたりだけ。
 かつての俺のように、ニヤニヤしながら俺らの演奏を見守ってくれていたヒデのあの小憎たらしいツラ、きっと死ぬまで忘れないだろうなぁ。

 高校卒業以降の俺の半生は、別段どうってこともない、どこにでも転がっているような労苦と挫折に打ちのめされるばかりのものだった。それも、わざわざ好き好んで。
 まず、苦労して稼いだバイト代をそっくりそのままスタジオ代や機材費に溶かし、閑散としたライブハウスにしがみつき続ける十数年があった。
 次に、三十路に突入しても夢の損切りに踏み切れず、いくつもの別れと出会いを重ね、しぶとく腕を磨き続けているうちに、あちこちの地方を回れるようになっていった十数年があった。
 だけど、それでも腐れ縁のバイト生活から綺麗さっぱり抜け出すというわけにはなかなかいかず、ようやっとギターだけでギリギリ食っていけるようになったかと思ったら、もう四十代後半。
 ハタから見ればパッとしない音楽人生なんだろうが、俺は一ミリたりとも後悔なんてしちゃいない。
 なぜってそりゃあ、毎度毎度、ステージへ上がる度に堂々と大往生できるのが俺たち演者の役得だからさ。はっきりいって、これに勝る幸せはありえないね。断言できる。
 
 話は変わるけど、俺、中坊の頃のあの夜みたいに、もう一度宇宙に繋がることができたら、音楽の世界からは離れようって、実は随分前から心に決めていたんだ。
 それで、昨日のライブの終盤、長いソロパートに突入する直前、かつて味わったことのないような万能感に包まれた時、
(嗚呼、とうとう俺にも順番が回ってきた。これが最後の夜か)
 なぜかそう思ってさ。
 最初の一音をチョーキングしたその瞬間、目の前が完全にホワイトアウトした俺は、リズム隊の音圧だけを背中で受け止めていた。
 あの感覚、言語化するのはなかなか難しいんだけど、極上の大波をサーフボードで悠々と乗りこなしているような心地よさ、とでも表現すれば、もしかしたらちゃんと伝わるのかな。ま、俺、サーフィンなんてただの一回もやったことないんだけど。
 とにかく、フレーズのひとつひとつが面白いようにバシバシ決まるもんだから、そのうち、コード進行とかスケールとか、そういう洒落臭い決まり事がどうでもよくなってきて、衝動に突き動かされるまま長年の相棒とまぐわっているうちに、脳みその奥からとんでもない量の快楽物質が分泌されるのを感じてね。
 その時、俺はようやく、三十余年越しに宇宙と繋がることができたんだよ。
 心のブレーキがぶっ壊れちまったからだろう、ほとんど無意識的にストラップを肩から外し、大斧の柄よろしくネックを握った俺は、危うくギターのボディーを地面に叩きつける寸前だった。
 すると今度は、もう二度と拝むことの叶わないヒデのにやけ顔が脳裏にパッと浮かんできて、我に返ったんだ。
 ヤツの唯一の形見をオジャンにすることはできない。だから俺は、その代わりといっちゃなんだけど、ギターヘッドを天井の照明ケーブルにしっかりと引っ掛けて、アンプの電源をオンにしたまま、ステージ袖へ引っ込んだのさ。
 カラフルなステージライトに照らされて中空にぶら下がったジャガーのパチモンは、まるで前衛芸術のオブジェみたいだった。
 鳴りっぱなしのハウリング音が箱全体をつんざくなか、お客は火のついたような狂乱状態。メンバーたちも、いつにも増して良い顔をしていた。
 
 そういえば、昨夜はもうひとつ印象的な光景を目にしてね。
 アンコールに沸き立つ客席の様子を袖から観察していると、最前列のど真ん中にいた気の弱そうなメガネ君が、直立不動で呆けているのを発見したんだ。
 周りはひとり残らず類人猿化しているのに、あいつだけは、さながら月に初めて降り立った宇宙飛行士みたいだった。
 アンコールを演奏している間、相変わらず突っ立って呆けたままのあいつと見つめ合っていた俺は、
(分かったよ、降参だ。お前みたいなヤツのために、これからも続けていくよ)
 そう決心し直したんだ。
 だから今なら、俺のちっぽけな音楽人生も、まんざら無駄じゃなかったのかもしれないって、素直にそう思えるのさ。
 そんな自分が、自分でも信じられなくてね。ホント、全てはあいつのおかげだよ。
 おっと、もうこんな時間か。長話が過ぎたようだ。悪ぃ、悪ぃ。
 うわっ、スゲー雨だな。はい、この傘あげるから使いな。いいって、遠慮すんなや。
 おう、今日はありがとな。じゃ、気ぃつけて。

 あ、こんにちはぁ。どうぞ、上がってください。
 あ、ちょっと待っててもらってもいいですか? 今、座れるスペースをつくりますんで。すいません、汚いところで。
 あ、あの、冷蔵庫にドクターペッパーがあるんですけど、飲みます? 賞味期限は……まだかろうじて大丈夫みたいです。はい、どうぞ。
 あ、このギターですか? これ、実は昨日買ったばかりなんです。ジャガーっていう機種の、サン……なんだっけな、そうそう、サンバーストっていう色らしくて。まあ、本当のところはただのパチモンなんですけどね。
 いえ、近所のリサイクルショップで衝動買いしました。一昨日生まれて初めて観に行ったライブで、ギターの人が使ってたのと同じ見た目のやつが置いてあって。本当はあの人のと同じ正規品が欲しかったんですけど。
 で、まあ、長い時間店内をうろついた末、気がついたら、今月の食費として取っておいた仕送り、全部使っちゃってました。いやぁ、やっちゃいましたねぇ、さすがに……。親に言ったら確実に殺されると思います。
 でも、いいんです。だって、こんなの生まれて初めてだから。
 何がって? それは、アレです。自分の意思で何かを始めることが、です。今なら空も飛べるような気がします。
 あ、言っときますけど、僕、途中で挫折したりなんかしないですよ? これなら絶対に続けていけるって、ハッキリとした確信があるから。
 きっと、いつでも宇宙と繋がることのできる方法をあの人に教えてもらったからだと思います。
 あ、やばい。もうこんな時間だ。そろそろ行かなくちゃ。友達と楽器屋に行く約束をしてたんで。
 短い時間でしたけど、話を聞いてもらえて嬉しかったです。ありがとう。
 お、雨、やっとやんだみたいですね。駅まで一緒に歩きましょうか。

 あれ? 傘、玄関に忘れてきてません?


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