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狂気のメソッド 『全く新しいタイプの戦争』

 私の両親(すでに他界)は、10代〜20代の時期を大東亜戦争の最中に生きた、文字通りの戦中派でした。

 16歳だった母は、1945年・東京大空襲の夜、妹(私の伯母)を背におんぶしながら、焼夷弾の雨の中、燃え盛る炎の街を逃げ惑うたとの、言い尽くせない(であったろう)死の恐怖を体験しました。

 23歳頃の父は(徴兵検査で不合格となって内地におりました)、おそらく同年・豊橋空襲の時期、にわかに米軍機による無慈悲な機銃掃射に遭うも、咄嗟に走って、大八車の下に潜り込み、難を免れました。

 両親の戦争体験の全てを聞いたわけではありませんが、文字通り、九死に一生を得た我が父母の体験を、私自身は決して、同じように”なぞる”ことはあるまいと決めつけていましたが、齢六十を迎えるや、現下の、人類史上・全く新しいタイプの究極目的型・直接戦争[超支配勢力による強制人口削減 vs 目覚めた/気づいた民衆勢力の人間としての抵抗]に、この私が巻き込まれることになろうとは、誠に人生というもの、何が企てられるか、油断も隙もあったもんじゃありません。

 それにしても、私たちの、この世界に、いま現在、起こっている事象が『全く新しいタイプの戦争』であると気づくことができましたのは、大東亜戦争・戦中派だった我が亡き両親の導きがあったからこそなのかと、あらためて、いま、有り難く、噛み締めているところです。

 Dona nobis pacem.