個人が尊重される世の中であって欲しい
私が世の中に望むこと。
個人が尊重される世の中であって欲しい。
現行の日本国憲法で保証されている『個人として尊重される』権利は、自民党改憲草案では、単に"(生き物の)人として"……と、なぜか個人主義(individualism)が曖昧にボカされており、とても容認できる代物ではない。
目下、まさに頻発しているマイノリティーや外国人に対する排他的な発言や、区別と称して事実上の差別を容認する不遜な態度には、実に嘆かわしいものがあると、私は感じ取っている。
例のワクチンを射たない選択をした者や、マスク着用を望まない者に対する仕打ち[同調圧力]が如何なるものであったか、どうかよく思い出して欲しい。
あれは、まさしくワクチンやマスクを望まない者に対する、支配者主導の、あからさまな差別であった。
そして、ワクチンやマスクを望まない者の多くは、生涯で初めて、マイノリティーの立場に押し込められる体験をした筈である。
区別と称して事実上の差別を容認する不遜な態度……。
あの同調圧力を耐え得た者は、偏に、ワクチンやマスクを拒否し続けた自分という個人をひたすら貫いていたのではなかったか。
ゆえに、
私が世の中に望むこと。
個人が尊重される世の中であって欲しい。