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VR Virtual Reality 仮想現実の誘惑

 VR Virtual Reality 仮想現実に自分の居場所を見つけようとする人/見つけてしまった人。

 中には、本物の現実に居場所が無く感じ、死のうとまで思ったが、VRで生まれ変わり、心の平安を得た人もいるそうだ。

 近未来において、VRは究極の社会管理プラットフォームとして積極活用される。VRの中で、誰もが全く新しい自分に生まれ変わり、ありとあらゆる願望・欲望を実現させる。高水準VRが開発され、仮想現実と本物の現実との区別がつかなくなる。居心地が良くなった多くの人々が、VRから抜け出ることを忘れる。VRが人々の脳を完全に支配し、個々の存在・人生が100%、グローバリストによって管理される。

 VRに閉じ込められ、100%管理されるなんて私・十樂は嫌だが、本物の現実では死の淵まで追い詰められた人が、VR 仮想現実でこそ安らぎを得られるなら、それも選択肢として有りなのか?

 難しい問題。

『全く新しい自分に生まれ変わり、ありとあらゆる願望・欲望を実現させる』ことは、言ってしまえば煩悩=我欲。私・十樂だって人間だもの、うっかり惹かれてしまいそうになるし、上述のように心が追い詰められた人、あるいは身体にハンディキャップのある人の気持ちになって想像すれば、高水準VRが有っても良いのかな? とも思いたくなる。

 しかし、その、人知で開発した素晴らしきVRは、太古より連綿と継承されて現在に至る、大いなる実存・実相=宇宙規模の大自然とその摂理に従っているのか、そして、その摂理に今後も従うべきなのか(十樂は従うべきと思う)といった、哲学的考察を、各自が処理しておかなくてはならない。これは重要なこと。

 極端な仮定だが、"意図的に"本物の現実では総ての人々に恐怖と苦痛のみを反復させるよう"仕向けること"に成功すれば、もはや、こんなところには居たくないと、どんなことでも思いのままに実現可能な高水準VRに、誰もが狂喜しながら逃げ込もうとする事態も想定し得る。

 煩悩=我欲を司る悪魔に取り憑かれたグローバリストなら、そんな恐ろしい計画を立て、実際に遂行しようと考えるだろう。

 自由人・十樂は、強いられるのを好まない。事象の本質に鑑みれば、誰にとっても、操られて良い筈などない。

「そうはさせるものか」

 強い一念を結集させれば、その集合意識(タマ [tua mua])の力で、悪しき計画を阻むことができる。

 いわゆる"闇の勢力に対抗する光の闘い"とは、何者かを頼り、他人任せにするのではなく、おのれの意識(タマ [tua mua])を神の光の武器と成し、自ら戦士となって挑む。タマ [tua mua]の力を結集させて。

しきる
ゆゐ つわぬ
そを たは くめか



*読み*

繁きる
結ゐ集わぬ
そを達は 組めか


*意訳*

ものすごい勢いで
集積して結合する
それを達成して調整するのは
『タマ』の連帯か
『ひふみ祝詞』より