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パックス・トクガワーナ/徳川による平和

 江戸時代(1603-1867/パックス・トクガワーナ/徳川による平和時代/Pax Tokugawana)の264年間、その世界歴史上、他に類例がないほど長期に亘って政治的安定を実現できた秘訣のひとつは、意外なことに、為政階級であった武士たちが、農民・町人といった一般民衆から上がってくる陳情・要望・告発・告訴について、誠心誠意を以って対応することを、強く求められ(なかば義務付けられ)ていた事実だったことが、最近になって判ってきたようです。

 つまり、武士階級は、単純に太刀を振り回して威張っていたのではなく、かなり微に入り細に入り、民衆の機嫌を損なわないよう気を遣いながら、民衆本位の治世を営んできたということです。

 それもそうですよね。武士が武力に物を言わせて、強権的圧政に徹していたら、264年間も平和な時代が続いた筈がありません。

 私たちが、明治政府監修の偏った歴史観のもと、如何に江戸時代に対する悪い印象を植え付けられ、洗脳されていたか、今になって明確に解ってきますよね。この洗脳、今すぐ払拭しましょう。

 ちなみに、日本の明治政府は、ロスチャイルド家の支配下にあった、19世紀の世界秩序構造が進めていた計画の一環として、我が国にセッティングされた組織でした。

 私が申したいのは、もともと江戸時代の日本には、日本の国柄に適合した、古典道徳的、民衆本位の統治精神というものが厳然と存在していたということです。西洋由来の民主主義なんて、本当は必要がなかった……と、言っても良いのかも知れませんね。

 一言で申すなら『徳川万歳』。
 江戸時代ほど、日本にとって素晴らしい時代は無かったのです。

 その、江戸時代の、古典道徳的、民衆本位の統治精神に基づく、大らか・寛容にして人間的な自由社会を、みんなで想起しましょうよ。私たちは、そういった自由にして開放的な魂の遺伝子も、もちろん受け継いでいるに違いありません。

 私たちは、おそらく江戸時代の民衆がそうであったように、もっともっと強か(したたか)になって、ちょっと狡猾に、為政階級の人間を……

  *利用し
  *吊し上げ
  *突き上げ
  *たらし込んで

……私たちにとって有利に事が運ぶよう、こき使ってやったら良いのですよ。

 そして、もしも理不尽に、為政階級の人間が私たち民衆に不利益を強いるような事態となったら、臆することなく、一揆・打ちこわし・ええじゃないか、といった騒動を全国一斉に起こしてやれば良いのです。

 どれもこれも、江戸時代の民衆の知恵なのです。

 従順に、お上(武士・為政階級)の仰ることに平伏して従ってきたのが、江戸時代の日本人だったわけではないのです。
 それもまた、明治政府監修の洗脳だったということです。

 それと、今から後、為政階級の人間に望むらくは、単純に権力を振りかざして威張っているのではなく、かなり微に入り細に入り、民衆の機嫌を損なわないよう気を遣いながら、民衆本位の治世を営んでいただくことですが、これは、江戸時代より、魂の遺伝子に植え付けられた潜在的記憶に根差す話ですので、為政階級は生粋の日本人であることが前提ですね。

 縄文の心を継ぐ日本人なら、残忍な独裁者には、なりきれない筈ですから……。

 尤も、あの💉デマ太郎に代表されるような、グローバリズム勢力(超支配勢力・超国家組織)に操られ、魂を売った日本人はダメですよ。これからの日本国民が、どのような人種構成になるかも重要です。国柄を守るって、そういうことなのですね。そう考えると、江戸時代の鎖国政策は、誠に理に適っていたと分かります。

 鎖国こそ、反グローバリズムの極みですものね。

 19世紀後半に至って、世界歴史の流れに逆らえなかったとは言え、開国以降、私たち日本人は、すっかりやられてしまいました。今になって振り返ると、よ〜く解るじゃありませんか。

 江戸時代(パックス・トクガワーナ/徳川による平和時代/Pax Tokugawana)の264年間、いったい何が功を奏して、世界歴史上、他に類例がないほど長期に亘って政治的安定を実現できたのかを、今こそ私たち日本人は、しっかりと把握し直し、明治以降の失敗を悉く省みながら、現在と次代に及ぶ展望を抱きましょう。