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コントロールがきかないことは受け入れるしかない#57

この2週間ほど、長女の発熱から始まり、次女→私→妻と家族全員風邪をこじらせています。おそらく長女が保育園からもらってきたRSウイルスではないかと。39℃台の熱、咳と鼻水。熱は子どもたちだけですが、見事に同じ症状に見舞われております。夜は咳き込んで起きてしまう。親は寝不足で仕事にいかなければならず、イライラ。

私自身の体調不良もありながら、何とか朝の1時間半ほど確保してきた学びの時間が取れなくなることに焦りとか苛立ちを感じることもありました。自分の体調だけなら何とかできますが、家族のこととなると私のコントロール下には無く…なすすべがない。その上でそこに対して苛立ちを感じてしまっていたのですが…今は仕方がないと割り切るしか無いという気持ちに切り替えることで少し楽にはなりました。コントロールがきかない変数部分とどのように向き合うか。そんなことを考えていたこの1週間のまとめです。


◯どうしようもないことを考えることが無駄

私がやってしまいがちなこと。それは、考えても答えが出ない問いをいつまでも考えてしまうこと。結局、自分の時間というリソースの無駄使いに終わってしまうことがよくあります。だいぶ意識をすることができるようになりましたが…主観で物事を考えがちなんですね。その背景にあるのは、自分で何とかできるという過信です。誰かを頼るという行動に出ないのも、自分がやってしまったほうが早いと思っている節があります。

今ある状況を客観的に捉えて、自分でできること、できないことの線引きを早くすることを意識してます。本来当たり前のことなんだろうと思いますが…
100点主義(取れたこと無いですが)なところもあり、正解とはなにか?という、解のない問いを立てては無駄な時間を過ごす。そこに気づくことができてからは、まずやる、すぐやるの精神で一度目のアウトプットを早くすることにしました。その後に意見をもらったりして修正して行くほうが圧倒的に早く仕事が進みました。

◯子どもの成長に目を向けられるか

変数に右往左往しながらも、子どもの変化を目の当たりにすることができたのは良かったです。二人の子ども(3歳と0歳)を耳鼻科に連れて行き、長女の診察時は次女を看護師に託しました。次女は泣き喚き、長女は長女で診察が怖くて泣き叫ぶ。地獄絵図でした(笑)
鼻水吸引が大嫌いになってしまった次女。そのせいで中耳炎を併発していました。抗生物質が処方され1週間後に再診察。その前前夜に「土曜日は耳を診てもらおうね」と長女とはなして寝ました。翌朝起きると自ら…あの嫌いだった鼻水吸引器を使いたいと言うではありませんか!

本人がやると言うのでひとまずは何も言わずに吸ってやりました。結構落ち着いて吸うことができました。終わってから「どうしてやろうと思ったの?」と聞いてみると、「家でやれば病院でやらなくていい?」と返事がきました。そうか。子どもは子どもでどうやったら自分の嫌いなことをやらなくて済むのか考えてるのかと感心してしまいました。あれほど嫌がっていた自宅での鼻水吸引も、あっさりと克服してしまいました。病院に行きたくないという後ろ向きな動機ではありましたが、自分で考えて行動しようとする我が子に寄り添った対応ができて良かったと感じます。

(結局受診時は鼻も吸われてましたが😂)

◯焦りの原因は何?

学びがストップしていることへの焦り。この焦りの原因は何か?と考えました。その答えは、見えない他者と比べて、自分は遅れを取っていると勝手に思っているだけでした。

私自身が何のために学んでいるのか。この部分がどっかに行ってしまっていたようです。私は私のために学ぶのであって、誰かと競ったりする必要がもともとないのです。このジブン株式会社マガジンをせっせと書いている人たちや、Voicyリスナーさんなどは、着実に前に進んでいる。でも私は…といった感じで、ここでも考えても意味のないことを考えてしまって、自爆寸前でした。

コンディションが良くないときはコンディションを整えることを優先する。家族全員が元気でいること。その上に学びがあると思ってます。他人との比較によって生まれるものはありません。ポジションな感情による競い合いは良かったりもしますが。
この2週間ほど、家族皆が体調を崩しましたが…その中でも私自身と向き合えたこと、子どもの成長を一つ目にすることかできたことは良かったと思っています。日々の暮らしの中から何を得て、次に活かすかという発想はとても重要なんですね!


最後までお読みくださりありがとうございます。
それでは、また。ゆうちゃんでした。


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