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日本経済新聞「春秋」に取り上げられた合気道11

さて「無心の境地」です。これはいろいろな解釈が出来るところですが、新陰流兵法の視点で補足説明します。すなわち、心が居付かない、何ごとにも固着しない精神状態が肝要ということです。無心といっても何も知らない幼児のような状態ではありません。稽古を通じ修行によって達するものです。

どのような武芸でも本能的な、また既に身についている体の使い方をその武芸に適するように修正することが求められます。武術的に正しい体の使い方を追求する過程が稽古なのです。この修正行為は、いわば下位脳を上位脳が押さえ込むという頭脳労働でもありますから、かなりのストレスなのです。したがって、修正された体使いが身につくまでは、気を緩めてはいけません。気を抜くと本能的な動きがよみがえるからです。このレベルは「無心の境地」以前のものです。一定の形(体使い)が身についてからの話なのです。

さて、兵法では相手に勝とうとして、そのことのみに執着することを病といってこれを嫌い、兵法の病となる着を離れよ、と説きます。上泉伊勢守の口伝に「兵法病去事」があります。これについて、兵法家伝書では殺人刀上「病気の事・病をさるに初重・後重の心持ちあること」の項に詳述しています。その概要は次のとおりです。

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