日記190115

妊娠する前の私は「理想とする胎教」みたいなものがあった。

胎教とは、胎児によい影響を与えるように、妊婦が心や行いを正しくすること。

クラシックの流れる部屋で膨らんだお腹を撫で、落ち着いた声で赤ちゃんに話しかけるような美しい妊婦になりたい。
もともと音楽や映画鑑賞は趣味として好きだし、読書だってそれなりにしてきた。

胎教?仕事の時間を通常より短く設定し余裕を持って普段通りに生活することの何が難しいのだろう、と思っていた。

しかし現実は違った。

妊娠初期の大きな障害は悪阻。目覚めと共にリラックス出来る音楽を流すものの、音楽で気持ち悪さは改善されないどころか、相まって余計に頭がガンガンする。クラシックを聴く妊婦に憧れていたのに、実際は少しでも悪阻を忘れられるようなスリリングな内容のドラマやお笑い番組ばかり見ていた。
胎児のためにはモーツァルトを聴かないといけないらしいのに。ごめんね、赤ちゃん。

食べ物も、とりあえず口に入れられるものを中心に食べた。インスタントを避け、タンパク質中心に身体にいいものを食べないといけないことは充分わかっている。わかっているが、そんなの選んでいられない。炭酸飲料に梅干し味の飴、インスタントの冷麺にたっぷりのお酢。冬場だとか身体が冷えるなんてのはどうでもよく、何も食べられそうにない時は氷をガリガリ齧り、それでも持って3分程度、何をしても嗚咽が止まらなかった。

毎日ベッドかソファか床で死んだように寝ているだけなのに体力は回復するどころかみるみる落ち、シャワーを浴びるだけで疲れ果て、家の近所をまわっただけで2時間ほど気絶するように寝た。風邪知らずの私がすぐ風邪をひいた。薬が飲めないので二週間以上辛い症状に耐えなければいけなかった。映画鑑賞も読書も、体力がないと困難だということを知った。

こうして理想とはかけ離れた(わたしが思うに)めちゃくちゃな妊娠初期を過ごし、悪阻が落ち着いてきた12週頃に改めて胎教を始めようという気持ちになった。

出産に関するドキュメンタリーを鑑賞し、母親の感情をそのまま胎児が共有するのだと知った夫は夕食後にわたしのお腹に妊娠線予防のオイルを塗ってマッサージをしてくれるようになった。その姿がなかなか愛しい。
お腹の中にいる赤ちゃんに話しかけたり、適当な歌を即興で歌ったりしているのを聴いていると、これが幸せかあ、と思うなどした。

立派なアラサーになり、理想と現実がかけ離れていることもそれなりに経験した。二十歳になれば全てが上手くいくような気持ちでいたのに実はそこがスタートラインで、三十になればある程度人生も安定するだろうと思っていても、そうなるにはきっと血の滲む努力が必要だ。

胎教も同じ。赤ちゃんを授かれば、いいものを見聞きし、これからの素晴らしい未来だけを考えて過ごすと思っていたが、実際の私は悪阻や体調不良、ホルモンバランスに精神を完全にやられ、荒れ果てた姿に鏡を見ては落ち込み、家事もまともにこなせず約二ヶ月と少しを、理想とはかけ離れた生活で過ごした。初期に胎児の顔の造形や内臓や体の形が決まると言うのに。悲しかった。

おそらく正解などない。モーツァルトを聴いていても頭が良くなるとは限らないし、母親の摂取した物と関係なく子供は健康かもしれないし、どうなるかは誰にもわからないのだ。
ただ母親が楽しいと思うとき、幸せと思うとき、きっとお腹の中の赤ちゃんもそれを共有していることは間違いないと思っている。

今でも私はフライドチキンが好きだし、料理が面倒な日はインスタントラーメンを食べる。やっぱり音楽よりドラマを見るし、度々夫と喧嘩もする。その傍、必要なサプリを毎日欠かさず、出来るだけ悪い言葉を慎み、夫と穏やかな気持ちで生活できるよう私なりの胎教をしている。

そういった気持ちが少しでもお腹の赤ちゃんに伝わって、幸せな気持ちで胎児生活を送ってくれるといいなと思う。

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