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エマ・ヘイズ(チェルシー):: P2W003 :: WSL Watch #009

今回は'P2W = person to watch(注目したい人)'の第3弾、チェルシーの監督のエマ・ヘイズを。今シーズン限りで退任するっていう驚きのニュースが週末に突然発表されたんで。

突然発表された退任と続報

チェルシーが快勝したWSLの第5節のアウェイでのアストン・ヴィラ戦は現地の11月4日(土)のランチタイム・キックオフ、つまり、日本時間の21:30だったんでその試合が終わったのが23:30頃だったんだけど、その約30分後の翌5日(日)の0:00頃に、上の投稿にあるようにエマ・ヘイズ監督の今シーズン限りでの退任が突然発表されて、当然って言えば当然だけど、SNSを中心にかなり大きな騒ぎになって。この日のWSLはこの試合しかなくて、他の試合は翌日の日曜日に予定されてたんで、他チームに迷惑をかけないタイミングってことだったのかもしれないけど、この手のニュースって週末に、特にマッチデイに出てくることって少ないってことも含めて、かなり大きなニュースになって。

チェルシーの発表には'pursue a new opportunity outside of the WSL and club football'って文言があって、ざっくり訳すと「WSLでもクラブ・チームでもないところで新しい機会を追う」みたいな感じだと思うけど、すぐに「WSLでもクラブ・チームでもないってことは代表チームってこと?」って思いつつも、イングランド代表はサリナ・ヴィーグマン(Sarina Wiegman)現監督の評判はいいはずだし...とも思ったり。SNSでは「サウスゲートの代わりにピッタリだ」みたいなジョークも見かけたりしたけど。

アメリカ代表の監督に?

チェルシーから発表があったのは上でも触れた通り日本時間の11月5日(日)の0:00頃だったんだけど、その後、すぐに続報があって。もちろん公式発表じゃなくてまだ報道なんだけど、アメリカ代表(USWNT = United States women's national soccer team)の監督になるっぽい、しかも、女性監督としては世界的にも過去最高額のオファーらしいみたいな話で。例えば、『ザ・ガーディアン』の"Emma Hayes to leave Chelsea at end of season and linked with USWNT job"って記事は30分も経ってない同日の0:26に掲載されてたりして。この時点ではまだ'linked with USWNT job'って表現だけで詳細はなかったけど、その後に出てきたイギリスのメディアの報道もアメリカのメディアの報道も概ねアメリカ代表監督就任秒読みみたいな感じで。

アメリカ代表監督就任がもうすっかり既成事実みたいな報道が多い感じだけど、ちょっと気になる点はいくつかあって。もちろん、チェルシーの次期監督は? って点もあるけど、それ以外にも。まずは、やっぱり時期について。新シーズンが始まったばかりのタイミングで発表されたのも驚きだけど、WSLのシーズンが終わるのは来年5月なわけで、それまでは兼務なのか、アメリカ代表は半年以上暫定監督のままなのか、いろいろ謎な感じで。まず、兼務に関して、「チェルシーなんて各国の代表選手だらけで、代表ウィークは主力はほとんどいなくなるはずだから兼務も可能なのか?」とかちょっと思ったりもしたけど、ヨーロッパならともかく距離も時差もあるアメリカまで移動してってのは、さすがにちょっと無理がありそうだし。あと、来年5月就任なら最初の大きな大会はオリンピックってことになるけど、実は2月から3月にかけてCONCACAF(Confederation of North, Central America and Caribbean Association Football = 北中米カリブ海サッカー連盟)のゴールド・カップがあるはずで、この大会の扱いも気になるポイント。おそらくこの大会は代表ウィークじゃないんで、「物理的にスケジュールがバッティングするけど、どうするんだろ? 暫定監督のままでいくの?」って。

ただ、今回の話の背景としてけっこう大きそうなのは、アメリカの危機感の大きさな気がしてる。夏にオーストラリアとニュー・ジーランドで開催されたFIFAウィメンズ・ワールドカップ(FIFAWWC)の期間中、日本のメディアでは日本代表以外のチームの情報はまともに追えないから、基本的には英語圏、イギリスとアメリカを中心にオーストラリアとかカナダとかのメディアとか記者とかの報道とかSNSとかも追ってたんだけど、周知の通りアメリカ代表は歴史上初めてベスト4入りを逃したどころか、まさかのベスト16止まりだったわけだけど、その直後のアメリカのメディアの落ち込みっぷりはけっこう凄かったんで。要約すると「今まではアメリカにあった覇権がヨーロッパに移りつつあるのは感じてたけど、遂にそれが現実になったってことを認めざるを得ない(のかもしれない)」みたいな感じっつうか、強いプライドとある種の傲慢さはまだありつつも、お通夜とは言わないまでもかなり大きなショックを受けてたムードで。それでも、アメリカ敗退後もちゃんと大会を最後まで熱心に追いかけて報道してた姿勢からは女性のサッカーのトップを走ってきた国の意地というか、矜恃みたいなモノも改めて感じたけど。ちなみに、FIFAWWCで監督を務めてたヴラトコ・アンドノフスキ(Vlatko Andonovski)は大会終了後に辞めてて、その後がトゥウィラ・キルゴア(Twila Kilgore)が暫定監督に就いてるんだけど、その後の代表ウィークには親善試合しかやってなくて、トゥウィラ・キルゴアはもともとヴラトコ・アンドノフスキのアシスタント・コーチだったんで、基本的には前向きな理由でアポイントされたってよりも間に合わせ的な意味合いのほうが強いっぽい。

そんな状況でエマ・ヘイズに白羽の矢を立てた、しかも、破格のオファーでってことみたいなんで、とりあえず、アメリカの危機感の大きさと本気度はかなり強く伝わってくるかな。

イングランドのウィメンズ・フットボールを変えたパイオニア

で、改めてエマ・ヘイズ(Emma Carol Hayes OBE)の経歴を。1976年生まれでロンドン出身のイギリス人で、チェルシーの監督に就任したのはまだWSLが春秋制だった2012シーズンの途中、オリンピックのためのサマー・ブレイクの期間で、2016シーズンまでと移行期の2017年のスプリング・シリーズ、現行の秋春制に移行した17/18シーズンから現在までってことになるけど、WSLが現在のカタチになったのが2010年からなんで、ほぼほぼWSLの歴史って言ってもいい感じで、今回のニュースに対しても「エマ・ヘイズがいないWSLなんて想像ができない」みたいなリアクションまであったくらい。優勝回数はWSLが6回で19/20シーズンから4連覇中、FAカップが5回、リーグ・カップが2回、コミュニティ・シールドが1回で、WSLの年間最優秀監督が6回、月間最優秀監督が6回、FIFAのベスト・コーチを受賞しててWSLの殿堂入りもしてるっていう物凄い実績の持ち主。2022年にはその功績を認められて大英帝国勲章(OBE)を授与されてたりもする。

さすがにサー・アレックス・ファーガソン(Sir Alex Ferguson CBE)とかアーセン・ベンゲル(Arsène Wenger OBE)ほど長期間ってわけじゃないけど、その期間のチェルシーのメンズ・チームの監督が誰だったかを考えると、ロベルト・ディ・マッテオ(Roberto Di Matteo)から始まって、ジョゼ・モウリーニョ(José Mourinho)、アントニオ・コンテ(Antonio Conte)、マウリツィオ・サッリ(Maurizio Sarri)、フランク・ランパード(Frank Lampard)、トーマス・トゥヘル(Thomas Tuchel)、グレアム・ポッター(Graham Potter)、そして現監督のマウリシオ・ポッチェッティーノ(Mauricio Pochettino)まで、暫定監督を除いてもこれだけの監督がいたわけで、もちろん男女を単純には比較できないとは思いつつも、「やっぱりスゴイな」って思わざるを得ない感じ。

ただ、今回の件に絡めてエマ・ヘイズについて語られる言葉をいろいろ見たり聞いたりしてると、単に実績を残してきた、たくさんタイトルを獲ってきたって話だけじゃないっぽい。頻繁に'パイオニア'って言葉が使われてることが象徴的なんだけど、チェルシーってクラブはもちろん、WSLってリーグ、さらにはイギリスのウィメンズ・フットボール全体まで、ピッチ上の競技レベルだけじゃなく環境の整備とか待遇の改善とか組織の改革とか地位の向上とかに尽力してきた功績の大きさがすごくいろんなところで語られてて。例えば、BBCの"Emma Hayes: Chelsea manager and ruthless winner who changed WSL forever"って記事では、「ライバル・チームが追いかけるべきWSLのスタンダードを設定した」だけじゃなく「女性アスリートの健康の問題、例えば生理のサイクルだとか性別と靭帯の負傷の関係だとか栄養学教育だとかって部分の調査・研究を強く推し進めたスポークスパーソンでもあった」「女性監督・コーチのロールモデルであり、男女平等のスポークスパーソンであり、WSLのプロとしてのスタンダードを引き上げた牽引者」なんて紹介されてたり。

あと、もうひとつ、今回のアメリカ代表監督就任の話がすごくリアリティがある理由に、エマ・ヘイズ自身がアメリカのサッカーをよく知ってるって点もあって。もともとコーチとしてのキャリアはアメリカで始めてて、当時の女性のサッカーの覇者であり圧倒的な先進国だったアメリカに渡って最先端のサッカーを学んで、実際にシカゴ・レッド・スターズでは監督を務めてたりもしてて、そこでの経験をイングランドに持ち帰ってチェルシーでの仕事に活かしたって経歴だったりするんで。つまり、サッカーの母国の出身でありながら、アメリカで学んだ最先端の知識を逆輸入的にイングランドに持ち帰って、素晴らしい仕事をして大きな成功を収めて、その手腕がまたアメリカに必要とされてるっていうかなり興味深い構図になってるのが今回の件だったりする、と。ただ、『ザ・ガーディアン』の"Emma Hayes is ideal for the USWNT. But she would walk into a pit of vipers"って記事でも言及されてるように、女性のサッカーの世界では今でもアメリカ代表監督ほど大変な仕事はないってのも事実で、でも、だからこそ、チェルシーで勝ち取れるモノはほぼほぼ勝ち取ったエマ・ヘイズらしい選択なのかな...なんて思ったりもして。

ちなみに、エマ・ヘイズが監督を務めてきた10年を振り返ったドキュメンタリー『ザ・ブループリント(The Blueprint)』が昨年の夏にYouTubeに公開されてたりする(全3エピソード)。

WSLとUWCLの2冠で有終の美を飾るシーズンに

WSL視点で考えれば、エマ・ヘイズ体制のチェルシーが観れるのは今シーズン限りになったことは確定したわけで、エマ・ヘイズ体制の集大成のシーズンになると思うんで、存分に楽しまないともったいないってことは間違いないかな、とりあえず。

個人的には、エマ・ヘイズには稀代の戦術家みたいなイメージはあまりなくて、わりとオーソドックスっていうか、トータルにバランスが取れてるような、例えばカルロ・アンチェロッティ(Carlo Ancelotti)みたいなタイプってイメージだったりする。明確なプレイモデルに強いこだわりを持ってるってタイプじゃなくて、戦術的にはわりと柔軟性があって、あくまでも対戦相手と持ち駒の力関係の中で結果を得るための最適解を出すことに長けてるような。実際にチェルシーの試合を観てても、フォーメーションもいくつかのパターンを使い分けてて、対戦相手の特徴を踏まえた戦略はちゃんと選手に遂行させつつ、豊富に抱えてる質が高い選手たちを上手くマネージメントしながら能力を最大限に引き出して、最終的には結局勝っちゃうって印象が強くて。スター選手が多いから単に戦力の質で殴り勝ってるように見えちゃう面もなくはないけど、あれだけの選手たちを適度な緊張感と健全な競争の中でマネージメントしつつ、編成面でも随時アップデートを図りながら何シーズンにも渡ってスカッドの強度をキープするって、やっぱり相当難易度が高いと思うんで。

上に「チェルシーで勝ち取れるモノはほぼほぼ勝ち取った」って書いたけど、'ほぼほぼ'って書いたのはUEFAウィメンズ・チャンピオンズリーグ(UWCL)だけはまだ勝ってないから。当然、WSLのリーグ5連覇と並ぶ今シーズンの大きな目標は悲願のUWCL優勝になるはずで、2冠を達成できちゃったらさすがにちょっと出来すぎなくらいのハッピー・エンディングになると思うけど、『ザ・テレグラフ』の記事によるとアーセナルのヨナス・アイドヴァル(Jonas Eidevall)監督は今回のニュースを受けて「エマ・ヘイズの最後のシーズンを可能な限り難しいシーズンにしよう」なんて言ってたらしくて、WSLのライバル・チームも勝ち逃げは是が非でも阻止したいだろうから、ますます今シーズンのWSLは面白くなりそう。ある意味では、WSLのひとつの時代が終わる転換期のシーズンになるかも? とかちょっと思ったりもしつつ。

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