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1年を振り返る

ちょうど1年前の今週が、息子が保育園に行かなくなった頃だ。
ひとつの節目なので、ちょっと振り返ってみたいと思う。
この1年、改めて息子と向き合い、子育てと向き合い、親として人として成長させてもらったと思う。決して楽しいことばかりではなかったし、悩んだり迷ったり怒ったりすることもたくさんあったけれど、そのおかげで、私なりに息子との付き合い方を良い方向に深められたと思う。

あの日、朝起きてきてリビングのソファの前でくたっと横になった息子の目には光がなかった。それまで見たことのない表情だった。大抵の家庭が朝はバタバタとするだろうし、それは我が家も例外ではない。行きたくない、と言われても、いいからとにかく朝ごはん食べなさい!着替えて出発!と号令をかけていた。あの日の息子は頑として動かないという様子ではなく、無気力に倒れ込んで動けない、という様子だった。怒ってもなだめすかしてもダメで、これは何かおかしい気がする、とりあえず今日は休ませよう、という感じで休ませたのを覚えている。しばらくして朝ごはんを食べて、家でだらだらしているうちにいつもの様子になってきたと思ったけれど、療育の送迎に来てくれた先生を全力で拒否して泣いて行かなかった。そのあたりから、これは思っている以上に大変なことになっているのかもしれない、と思ったような気がする。

そこからは保育園に行かないで如何に過ごすかを毎日考えていた。延々とTVで受動的に過ごさせるのが嫌だったし、TVを見るために休むという回路を作りたくなかったので、平日のTVは18時以降と決めた。息子に制限をかけている以上私もタブレットで動画を見たりはできない。そうなると、朝から18時まで、さて何をしようかということになる。猛暑とコロナと学校の夏休みが全部重なって、毎日どこかへ出かけるのはなかなか難しい状況だった。
外出時はできるだけ朝早くに出発して、水族館、図書館、映画など屋内で過ごし、夕方帰るようなイメージだった。家にいるときは、料理(パンを焼いたり、イカを捌いたり、なんでもかんでもベーコンで巻いたり)をしたり、お風呂場で水遊びしたりした。能動的に何かやってほしいと言っても、彼に何が刺さるかわからなかったので、デジタルのもの、レゴ、絵本、図鑑、塗り絵、ワークブック、ルートパズル、カードゲーム、ボードゲーム、絵具、等々、色々と与えた。
お昼ごはんまで、おやつまで、と保育園に行くようになってからも18時までTVをつけないルールは変わらないので、ドーナツを買いに行きたいと言えば、グーグルマップでおいしそうなドーナツ屋さんを見つけて、電車に乗ってそこまで買いに行ったりもした。
保育園に毎日行くようになってから、予定休を作った日もあった。というのも、TVで見かけたシロイルカが名古屋港水族館にいるからだった。新幹線に乗ったこともなかったし、私も愛知の友達に会いたかったし、祝日と組み合わせてふたりで名古屋へ行くことにした。初めての新幹線もビジネスホテルも彼にとっては大冒険だったようで、今でもまたあのホテルに泊まりたい!と言っている。
息子が保育園に行かなくなったことで、いつか行きたいと思っていた場所やいつかやりたいと思っていたことをやるキッカケになった。そうでなかったら、水族館も絶妙に遠くて行かないし、パンも面倒くさくて焼かないし、わざわざ電車に乗ってドーナツを買いになんて行かなかったと思う。愛知にも行く行くと言いながら何年も経っていた。息子がアレ食べてみたい、というので普段は食べない限定ソフトクリームを食べてみたら思ったよりおいしかったり、乗ってみたいというので船に乗ったらきれいな景色が見れたりした。息子のおかげで、私も新しい経験や楽しい発見をさせてもらっている。

保育園に毎日通うようになっても、お昼ごはんまで、おやつまで、夕方まで、は三歩進んで二歩下がった。迎えに行くと「もっと遊びたかった!」と言うけれど、いざ長くすると、不安そうにしていた、という話を聞いたりもして、今無理をさせてまた行けなくなるくらいなら、短くする方が…という感じで行きつ戻りつした。もしかしたら冬季鬱的なものがあったのかもしれないし、単純に冬は早く暗くなるので、体感として長く待っている気持ちになったのかもしれない。
最近調子よさそう、このまま行けるかも、と思ったときに、結局後退したり、行き渋りされると私もとても疲弊した。いっそ「行かない」という前提の方が楽なのだ。「行くかもしれないし行かないかもしれないし、今日行けても明日はダメかもしれない」というようなどっちつかずの状況というのがとてもしんどかった。けれどこれは行くようになった頃から予測されていた事態ではあったので、過渡期と思って耐え忍んだ。
結局、春頃から私の妊娠が判明した関係でどうしても保育園に行ってもらわなければならない事情もあり、今は毎日夕方まで登園している。行き渋りは相変わらずあるけれど、それでも頑張っていってくれていると思う。

保育園に行けなくなった理由は今も明確にはわからない。特定の出来事や人間関係や場所の問題ではなく、あくまで彼自身の問題だったんだと思う。乳児から幼児に進級し、クラスの人数や先生の人数や生活のルーティンが大きく変化したことに疲れてしまったんだと思う。療育や保育園の支援と、彼自身の成長があって、集団生活の中でうまくやっていけるようになってきたことで、また楽しく過ごせるようになってきているんだと思う。

保育園に行かなかった期間、積極的に行けとは言わなかった。今は休む時、充電の時と思うようにしていたし、精神的にも少し不安定な様子だったので、とにかく安心感、信頼関係の再構築を一番に考えていた。行けないことは本人の問題であって、私が無理やり引きずって連れて行って解決することではないので、気長に待つしかなかった。それは分かっていたけれど、やっぱり唐突な変化や不安定を支えるということは私にとっても相当な負荷だった。
ひとつ、どうしても忘れられないことがある。ある日晩ご飯を食べていたら、息子がシュンとした顔で、「喉がしんどくて食べられないの…」と言う。風邪のひき始めか?まさかコロナ…?と心配していたところに夫がドーナツを買って帰ってきた。すると、「わあ!ドーナツだあ!食べたい食べたい~!」と、目を輝かせて言ったのだ。これはつまり、晩ご飯を早く切り上げてTVを見たいがために、仮病を使ったということだった。
この時、完全に私の心が折れた。傍から見れば子どもらしい可愛いウソかもしれない。演技をするなんて賢いことかもしれない。けれど、1か月以上彼の不登園に付き合って、毎日何をして過ごすか考えつつ、それなりに栄養も考えて食事を作っていた私にとっては、耐えがたい裏切りだった。もう知らん。そんなにTVが見たいなら好きにすればいい。ごはんも勝手に自分で好きなものを食べればいい。こっちは必至に毎日向き合っているのに、たかがTVの為にそんなウソをつくのであれば、こちらとしても誠実に向き合う義理などない。
まず腹が立った。そしてそこから悲しくなった。それから数日どうしても息子がかわいいと思えなくて、私自身のメンタルが限界だと悟り、本人には「明日は絶対に保育園に行って」と伝え、そして保育園では「もうこれ以上一緒に過ごせません」と泣いて先生に押し付けて帰った。
その日を境に短時間でも保育園に行くようになったので、ある種必要なきっかけだったのかもしれない。とはいえ、できることなら味わいたくない嫌な出来事だった。

自分以外の人をサポートするということは本当に難しいことだと思う。息子は、ただ保育園を休みたいと言っただけで、私に具体的にあれをしてくれこれをしてくれと言ったわけではない。TVのルールを決めたのも、色んなものを与えたり連れ出したりしたのも、私が良かれと思ってやっただけのことだ。そこに感謝してほしいわけではない。けれど、やっぱり私も人間なので、やったことに対して不誠実な態度を取られると、たとえ相手が園児であろうと、傷つくし悲しい。あくまでも私は彼をサポートするだけで、彼が健やかに生きていくお手伝いが出来ればそれでいいとは思っているけれど、ぞんざいに扱われて許せるかというと、それはまた全然別次元のはなしなのだ。

この一年、不安だったし悩んだし、苦しんだし、正直今も全く不安がないかというと全然そんなことはない。明日からまた保育園行けなくなったらどうしようという気持ちは常にある。けれど、保育園に行かなかった分、彼と一緒に過ごしたり、行けなくなったことで彼との付き合い方を見直したりして、息子のことをもっと好きになったように思う。彼はとても愛情深く、好奇心旺盛で、優しく、アイデアマンで、創造的だし、意欲的で、知識をどんどんリンクさせて考えを構築する能力もある。私とも夫とも全然違う性格で、話していて楽しい人だ。
保育園に行けなくなっていなかったら息子を好きにならなかったかと言えばそんなことは絶対にないだろうけれど、今の目線や向き合い方とは違っていたんじゃないかな、とは思う。

それから、今のうちに彼のしんどさを知れたことは良かったと思う。彼は集団がしんどい人なので、家庭ではそのしんどさがよくわからない。園での様子は先生から聞いたり、参観などで垣間見ることはできるけれど、そのしんどさが発表会など非日常の時の問題なのか、それとも日常的なものなのか、というのは大きな違いがある。園児の段階からそれがわかったことで、どういう声かけや支援があれば彼が過ごしやすいのか、どういうときが彼のしんどいポイントなのかという情報を収集することができるし、情報があれば対応対策が打てる。それは今後、小学校やその先でも彼が楽しく生きていくためにとても大切な知の集積になっていくと思う。

最後に、この一年は決して楽ではなかった。けれども、楽しい一年でもあった。水族館のお姉さんにジンベイザメの大きさについて「電車とどちらが大きいですか?」と聞いたときにはとても驚いたし、初めての旅行でも迷子にならずにちゃんと着いて来る様子はとても成長を感じた。ぐるぐるパンを保育園のお友達に見せてあげたり、イカをひとりで捌いたり。レゴを何度も組んでは崩し、作り方をまぜこぜて新しいものを作ったり。私の知らない息子の一面を色々と見れた一年だった。
もうすぐ彼はお兄さんになる。これまでひとりっ子だった息子が兄弟を持った時、きっとその環境変化に張り切りもあるだろうし、戸惑いもあると思う。そうこうしていたら保育園も最後の年になる。変化の中できっとまた大変なことがあるんだろうけれど、どうか、彼が健やかに彼らしく育っていくことを願っている。

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