見出し画像

アイディエーションにおける不毛な議論を打破する「既存価値年表」

今回の話は、アイディエーションにおける不毛な議論から抜け出す方法です。マーケティングや製品企画に使えます。実証済みです。

というのも、僕が勤めている株式会社デコムでの仕事の1つだからです。知らない人も多いでしょうが、以下の「「欲しい」の本質」を書いた大松が代表を務める、知る人ぞ知る会社です。


前提条件:アイディエーションにおける不毛さ

スティーブ・ジョブズのような1人の天才によって、革新的な新製品コンセプトが作られるなんて神話です。

ほとんどの企業では「製品企画会議」と題して、大人がワイワイ集まるアイディエーションが日夜繰り広げられています。

★製品企画会議の内訳
①既存のブランドから、消費者にとって新しい価値を見出して、効果的なプロモーションを実施する方法を考える。
 ⇒「何を伝えよう?」がメインの会議です。

②ある特定のカテゴリで、新しい価値を持った商品・サービスを開発する。
 ⇒「何を作ろう?」がメインの会議です。

会議の目的は「新しい価値」を見つけることにあります。新しく、柔軟な発想が求められ、企業によってはワークショップを開催してまでアイディエーションを行っているかもしれません。

ですが、新しい価値の発見は相当難易度が高く、会議が踊ることや、ワークショップ自体が盛り上がらず終了することも少なくないでしょう。

なぜなら、何が"新しい"か分からないからです。

アイディアを出した時点では「新しい!」「面白い!」と盛り上がっても、案が具現化されて行くと「なんか面白くなくなったね」「俺は面白いと思うよ」「◎◎に似てない?」という声が出てきます。不毛ですね。

中には、親子ほど歳の離れた社員が混じったアイディエーションを行っていると、若手が「これ面白くないですか?」と言ったアイディアを「それ昔あったよ。古くないか?」と一蹴することも。不毛ですね。

そこで、ワークショップの主催者は「批判禁止!」「突飛な意見大歓迎!」と煽ります。アイディアの段階では、どんな種も潰したくないという趣旨だと思いますが「だから成功した」という話は、あまり聞きません。気合や根性論でどうこうなる話では無いからです。

なぜなら、どこかで聞いたことがあるアイディアが出るのは、当人が既にバイアスに塗れていて、ブランドやカテゴリに対して既成概念を持っているからです。業界に詳しい「専門家」になってしまったがために、「専門家の目線」で物事を考えてしまう"罠"に陥っているのです。

気合でバイアス乗り越えられたら、それは論文発表ものです。

※ちなみにデコムではこうした状況を「認知の牢屋」と表現しています。多くの人は牢屋に囚われていることにも気付いていません。

Newspicksの申し子・落合陽一さんのWEEKLY OCHIAIは、「◎◎をアップデートせよ!」という縛りで色々アップデートしているようですが、コメントや動画CM等を拝見する限りそんなに面白いとも言えないのは、「認知の牢屋」の住人ばかりゲストに呼んでいるからかもしれませんね。


加えて、こうしたアイディエーションは、成熟市場においては難易度S級の「無理ゲー案件」と化します。

例えば新しいアイスを作るにしても、市場における消費者の「アイスを食べたい」というニーズはだいたい満たされています。形も味も食感も、もう出尽くした感があります。

消費者に「どんなアイスを食べたいですか?」と聞いても、もはや答えは返ってこないでしょう。現状で十分満たされているのですから。

しかし、それでは売上は横ばいです。自社で、消費者も気付いていないアイスの「新しい価値」を見つけ出し、それを具現化した商品を作らなければならないのです。これは大変です。

また成熟市場は歴史も長い分、バイアスや既成概念を持っている社員さんも多く、「それはアイスとは言わないんじゃない?」みたいな声に阻まれて、自然とアイディエーションの幅も狭まってしまいがちです。不毛ですね。

ちなみに成熟市場には、往々にして大企業が君臨しています。大企業はさすがにちゃんとしていて、自社ブランドがどのような価値を提供してきたか、ちゃんと纏めています。しかし当該カテゴリで「どのような価値が好まれたか?」までは纏まっていません。

だからアイディエーションの時点では「自社」にとって新しい価値のように見えても、案が具現化してくると競合他社に似通ったように見えるのです。たまにそれでも企画承認がおりて製品化するのですが、消費者が「これってあれのパクリじゃね?」と首を傾げて終わります。不毛ですね。


さて、こうした不毛な状況を打破するには、どうすれば良いのでしょうか?


既存(ベタ)を共有する「既存価値年表」

問題の本質は既存の価値を知らないこと、或いは共有できていないことにあります。「既存」が共有されていないから、何が新しいか分からなくなるし既成概念に気付けないのです。

つまり、新しくない価値(=既存)を理解・共有することで、その範囲内か価値の延長にあるサービス、ブランドを「これは面白くないです!アイディエーションの範囲外!!」と定義できるのです。

明示的に「それは面白くない既存の価値」と言われることで、自分の既成概念やバイアスに気付けるようになります。


デコムでは、当該カテゴリの勃興から価値の変遷を年表形式にまとめて作成しています。これを「既存価値年表」と名付けています。

こんな感じです。4P+1C+PEST+データで価値を説明しようとしています。

画像1

例えば、あるブランドのアイディエーションを行う場合、そのブランドが所属するカテゴリー全体を俯瞰する年表を作成します。ブランドだけでなくカテゴリー全体というのがミソです。

なぜなら、織田信長に関するイベントだけを纏めても、織田信長の偉大さは理解できないからです。「1571年:比叡山延暦寺焼き討ち」だけでは、単なる極悪非道としか理解できません。

戦国~安土桃山時代という時代背景、前年にあった志賀の陣、軍事的拠点としての延暦寺、僧兵の存在…こうした事象を加えてこそ、「1571年:比叡山延暦寺焼き討ち」の価値が伝わります。

他者に影響を与えないモノはいないし、また影響を受けなかったモノもいません。それは「価値」も同じです。「価値」を作ったイベントを自社に限らず業界全体でまとめることで、既存の価値が理解できるようになるのです。


実際に、H.I.S.から「新しい海外旅行パッケージサービスを考えたい」という提案があったとして、既存価値年表を作成してみました。図が汚いのはすいません、いずれadobe使いこなせるようになります。

画像2

日本における海外旅行の始まりを1960年代に設定して、以降10年間隔で価値変遷が追えます。主に以下のように纏めました。

1960年代:一生に一度、夢の海外旅行を味わえる

1970年代半ば:海外に行くこと自体がスゴイと思われる

1980年代:非日常へ逃避できる(普段と違う買い物、社会貢献…etc.)

(パターンA)
1990年代後半:コスパ良く楽しめて得した気分になれる
(パターンB)
2000年半ば:非日常だけでも”選ばれた人”になれる

価値に対して、PESTや4P1Cから矢印が刺さっています。これは、この事象が価値の形成に大いに役立ったことを意味しています。

「格安航空券」が誕生して、海外旅行が一気に身近になり、「誰もが楽しめる"非日常"」という価値を持つ海外旅行市場が拡大し、買い物先としてのタイ・プーケット人気がそれを後押しした…などなど。

この年表を見ると、「非日常」「コスパ良く楽しめる」「ラグジュアリーに楽しめる」というパッケージ海外旅行の価値は"既存"であり「面白くない」と分かります。

つまり「新しい海外旅行のアイディアを考えよう!」というときに、「発展途上国での日本で体験できない非日常体験!」と言い出した時点でアウトです。ワークショップの主催者が「ピピー!既存です!」と笛を鳴らすと良いでしょう。

ちなみに、価値定義に関しては「これが正解だ!」というものはなく、旅行業界に詳しい、例えば「TABI LABO」の人たちは、何と書くのか大変に興味があります。


価値ベースで書くことの難しさ

ちなみに、海外旅行の既存価値を纏める際に「モノ消費・コト消費は何故含まれていないのか?」というツッコミを貰いました。

「それは価値ではないと思います。消費者の行動様式です。大事なのは、消費者がコト消費に走ってしまう源泉、そこに感じる価値を書くことです」

と答えました。その時に「価値の"意味"って意外と共通認識が無いんだな」と気付いたので、最後に価値について説明します。

価値は3階層に分かれます(アカデミックの領域からすると色んな意見があると思いますがご容赦ください)。

まず「事実・特徴」。そのブランドの技術的な特徴を指します。物性ベースでのファクト情報とも言えます。

次に「機能価値」。ブランドが顧客に提供する物理面、機能面での”効用”を指します。

最後に「情緒価値」。ブランドが顧客に提供する感覚や気分、顧客との”感情的なつながり”を指します。

この3つは、ピラミッド構造になっていて、下から上に満たされます。言い換えれば、「事実・特徴」が無いのに「情緒価値」が作られることはありません。「情緒価値」は「事実・特徴」が大前提だとも言えます。

画像3

成熟市場におけるブランドであるほど、情緒価値で差を付けようとします。言い換えると、「事実・特徴」「機能価値」で差別化できないのです。それがコモディティ化だと言えます。

例えば、BMWの場合は以下のような感じではないでしょうか。

画像4

他にも、缶コーヒーの場合は以下のような感じではないでしょうか。

画像5

ドラマでは、仕事を終えた後輩に先輩が「おっ、お疲れ!」と手渡す代名詞が"缶コーヒー"です。ペットボトルのコーヒーでも無いし、紅茶でも無い。それは缶コーヒーの情緒価値が、職場におけるコミュニケーションのシンボルだからです。

だからジョージアのCMもBOSSのCMも、職場が舞台なのです。いざビジネスマンが後輩に缶コーヒーの差し入れをするときに、いの一番に思い出してもらうために。

双方のCMは本当に良くできていて、「働く人のリフレッシュ」という機能価値に焦点を充てつつ、いかにしてコミュニケーションシンボルに昇華させようか苦心している様子が伺えます。

このあたりの経緯は、日本コカ・コーラのストーリーでも紹介されていますからご一読をお勧めします。

クラフトBOSSという新ジャンルのペットボトルコーヒーですら「職場」に焦点を充てています(ただしIT系企業であり、ジョージアのようなブルーワーカー目線ではない。だから新しい??)。言い換えれば、「職場」が"既成概念化"しているかもしれませんね。


ちなみに、CMは既存価値を理解するのにもっとも適した手段です。

作り手もブランド・サービスについて知って貰おうと、15秒30秒に意味を込めます。したがってCMを見れば、既存価値はざっくりと理解できると感じています。

だから最近はYoutubeを重宝しています。めっちゃ昔のCMがあがっているからですね。好きな人は好きだからなぁ。

例えば、これは1989年毎日新聞のCMです。飛行機に乗って、カメラマンがパシャリと写真撮影。「どこよりも早く最前線の現場に出る」というコンセプトでしょうか。

続いて、2017年に公開された朝日新聞社メッセージムービー。0:20~あたりから同じような映像が…。

さらに、2018年には日経新聞でも、開始直ぐ同じような映像が…。

この30年間、新聞というカテゴリは、既存価値に大きな変化が無いのかもしれません。消費者向けビジネスでここまで長い間、既存価値に変化が無い業界も珍しいかもしれませんね。


まとめ

アイディエーションにおける不毛な議論を打破するために、デコムでは「既存価値年表」を作成している…という話でした。

なんだか難しい話が続きましたが、「新しいもの」を作るためには「今まであったもの」を知らないと作れない…と理解して頂ければ幸いです。

要は「守破離」のようなもので、守らないといけない形・型が無ければ、そもそも破ることができないし、離れられません。既存とは型だと言い換えても良いかもしれません。

ちなみに、「全米は、泣かない。」という本で、澤本嘉光さんや篠原誠さんも"型"という言葉を使われておられて、クリエイターの人からすれば今回の話は当たり前なのかなぁ…と感じたのですが、どうなんでしょうか。

その辺、ご意見ご感想をお伺いできれば幸いです。


最後にお知らせ

今回の話を、もりもり盛りだくさん詰め込んだ書籍が光文社新書から刊行されました。こちらもご笑覧頂ければ幸いです。

以上、お手数ですがよろしくお願いいたします。


1本書くのに、だいたい3〜5営業日くらいかかっています。良かったら缶コーヒー1本のサポートをお願いします。