読者の共感を呼ぶ文章を書くためにすべきこと

小説を読んでいると、主人公の感情表現の巧みさに驚かされることがあります。
主人公と全く同じ体験をしたことがあるわけではないのに、自分もどこかで似たような気持ちを抱いたことがあるような感覚を覚えます。

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体?オオカナダモ?ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。

綿谷りさ『蹴りたい背中』


こちらは綿谷りさ『蹴りたい背中』の冒頭です。

友達を作ることに失敗し、新しいクラスで浮いてしまった主人公。孤独を紛らわすためにプリントを千切る。自分が気怠げに見えることを期待して。

私は学生時代に同じようにプリントを千切った記憶はないですが、それでもなんとなく、自分が孤立してしまったときにそれを隠したい気持ち、望んで孤立しているように見せたい気持ちは共感ができます。そして孤立しているのではなく「気怠げに」見せたいことも。


こころは息を殺して音を絞ったテレビを観ながら、その明かりが外に漏れていなければいいな、と思う。
ミカワ青果が来なくても、こころの部屋の向こうに見える公園には、いつも近所の若いお母さんたちが子どもを遊ばせに来ている。色とりどりのバッグをハンドルのところにかけたベビーカーがベンチのそばに並んでいるのを見ると、「ああ、午前中もあとちょっとだ」と思う。十時から十一時くらいにかけて集まり始めた親子たちは、十二時にはお昼ごはんのために、みんないったんそこからいなくなる。
そうしたら、少し、カーテンが開けられる。カーテンの布地の淡いオレンジ色を通し、昼でもくすんだようになった部屋は、ずっと過ごしていると、罪悪感のようなものにじわじわやられる。自分がだらしないことを責められている気になる。

辻村深月『かがみの孤城』

こちらは辻村深月『かがみの孤城』の冒頭の一文。
学校に行けなくなってしまった中学一年生の主人公・こころが自分の部屋で過ごしている時の様子です。

不登校の経験はなくても学校をズル休みしたことがある人なら、こころの心境はなんとなく分かるのではないでしょうか。

自分の存在を周りに悟られないよう、息を殺して音を絞ったテレビを見る。

部屋から見える公園から人がいなくなって、やっと少しカーテンを開けられる。

充分にカーテンを開けない薄暗い部屋で日中を過ごしていると、自分がだらしないことをしている罪悪感が芽生えてくる。

私はよく学校をズル休みしていたので、こころの気持ちがよく分かります。



読者としてはこのように主人公の感情に共感ができると、主人公に対する興味が一気に湧いて先のページを読み進めたくなります。自分と同じような感情を抱いている主人公がいったいどうなるのかを見届けたいからです。

小説家として読者に自分の作品を最後まで読んでもらいたいのなら、読者の共感を呼ぶ感情表現ができることが必要になります。

ではどうやったら読者が共感してくれる文章を書けるようになるのでしょうか?


答えの1つが、作者が自分の日々の感情を文章で書き残しておくことだと思います。

不登校だった学生時代、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのか。

孤独を感じたときに、どのようなことを思ってどんな振る舞いをしたのか。


紹介した2つの作品の文章は、主人公の感情にとてもリアリティがあります。おそらくですが、作者が人生のどこかで体験し、感じた気持ちが表現のベースにあると思います。

小説はフィクションで想像力を使って書くものですが、それでもその想像の起点になるのは自分の体験であり、自分の感情です。

ですので自分がどのような体験をしてどんな感情を持ったのか?それをきちんと文章で書き残しておくことが、いつか小説で読者が共感してくれる表現を書くことに繋がると思います。


当時の生々しい感情は、時間が経ってしまうと思い出せなくなってしまうものです。しかしその生々しさが読者の共感を呼びます。忘れないうちに記録しておくことが必要です。

例えば、私には実家で無職をしていた時代があります。当時はなんとなく太陽の光がダメになって、日中に出かけられませんでした。深夜、家族や街が寝静まったころにようやく外に出られる気がしたものです。あの頃は静かな月の明かりが、私が耐えられるいちばんの明るさでした。

こういうのがリアリティと思います。自分の体験と感情にもとづくリアルさが読者の共感を呼びます。



ということで、日記をつけるなどして自分の感情を記録しておきましょう。

普通、日記を書くときは楽しい思い出を記録しておくものと思います。楽しい感情の記録も大事ですが、小説を書くならつらい出来事と感情こそ記録しておくべきと思います。

なぜなら小説の主人公はつらい状況から物語がスタートすることが多いからです。まず主人公のつらさで読者に共感してもらう必要があります。

また、個人的になんとなく、読者の強い共感を呼ぶのは楽しい感情よりもつらさの方だと感じますね。


(ああ、自分もこんな感情のときがあった)

読者にそう思ってもらうことが共感で、主人公に共感すると読者は自分と同じ感情を抱いている主人公の行き先が気になって、ページを読み進めるのだと思います。

自分が当時に感じていた感情を「そうそう、そういう感じだった!」と小説が上手に言葉で表してくれると、読んでいるほうはなんだか嬉しくなります。自分の気持ちを分かってくれたような気がして。


自分の人生における悲しくつらい時期を「あとで小説に使えるもんね」と思えるのが創作をする人間のいいところですね。自分が孤独を感じている時間は、いつか孤独なキャラを書くときに役立つ経験です。


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