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喫茶への逃避

2023年12月28日手記より。

もう年越しである。年の瀬に、ふと逃げたくなった。
僕の逃避癖は今に始まったことではないのだが、今回は一段と激しい。ここでは伏せるが、今年は色々なことがありすぎた年だった。

さて、今日のことを記していこうと思う。
今日はまず朝起きてから新宿へ向かった。数日前、突発的に予約を入れた宿は荻窪に位置していたため、新宿での乗り換えを要した。入館は16時を予定していたので、ずいぶんと余裕がある。
自宅で目一杯だらついても良かったのだが、さすがにそれはもったいないのと、暖房器具が壊れた家ではろくにくつろげないと判断し、早々に家を出たのだ。
早々に荷物をまとめ、いそいそと家を出、電車へ飛び乗る。平日ではあったが、もう休暇に入っている人間が多いのか、駅は混雑していた。
電車に揺られ、何を考えていたのかは覚えていないが、なんだかぼんやりしているうちに新宿についた。
時刻は14時。
特に目的も決めていない。しかしまだ時間はある。
ふらふらと、浮かれ気分の人間を横目に徘徊し、目についた喫茶店へ入ることにした。

今回の逃避は「本を読む」という目的もあったので、鞄にたんまり入れた本を開くのに丁度よさそうな「但馬屋珈琲店」へ足を踏み入れた。

「但馬屋珈琲店」正面

この喫茶店は、新宿西口に位置する「思い出横丁」の脇に佇んでいる。その昔ながらの店構えに惹かれて足を止める人も少なくない。
ドアを開ける。落ち着いた木目が印象的な店内である。
会計中の店員の奥で、カウンター越しにマスターらしき初老の男性と目が合った。
「お二階へどうぞ」
そう声をかけられ、軋む階段を踏みしめて二階へ上っていく。珈琲豆を挽く音が心地良いBGMとなっている。
2階はカウンターがそろりと並び、奥にボックス席がいくつか並んでいた。何人かが店内で過ごしているのを横目にカウンター席へ着く。落ち着いた雰囲気の店員が冷水とメニューをカウンターの上に滑らせた。
革張りのメニューを開いてすぐ、僕は注文の品を決めた。
僕はこのごろ、喫茶店のプリンに目がない。どこの喫茶店へ行っても、プリンがあれば注文してしまう。硬めのしっとりとしたプリンの店もあれば、弾力のある柔らかいプリンを出す店もある。好みやこだわりがあまりないからこそ、その店特有の味や硬さを柔軟に楽しむことが出来るのである。
そんなこんなで、プリンと珈琲を注文した。

「但馬屋珈琲店」店内

運ばれてきたプリンの上にはイチゴと生クリームが乗っていた。シンプルなプリンも好むが、このように着飾ったプリンも好きである。
ここのプリンは、硬めだ。
至福の口どけを、持参した活字と共に味わう。途中、古い型のスーツを着た紳士が横に座ったのも、僕の気分を高めるには十分な要素だった。
最近やっと飲めるようになった珈琲の苦みと、プリンの控え目な甘さがマッチしていた。
店内で吸える煙草と、持参した江戸川乱歩の相性も良い。
‥‥‥
顔を上げると、もう1時間も経っていた。
心も腹も満ちたことだし、出るとしよう。

「但馬屋珈琲店」のプリン

せっかくなので新宿の、闇市の名残を感じさせる思い出横丁を通り、東口の方へ下る。人ごみをかき分けて総武線三鷹行きの黄色い電車へ乗った。
荻窪を目指す。

思い出横丁。時間が早いのでシャッターばかりだった。

荻窪に行くのは久々だったので、新宿から予想より近いことに驚いた。
15時。
ふむ、宿へ行くにはまだ早いな‥‥‥
駅前を徘徊しているとアーケードの下に赤い看板を見つけた。
「邪宗門」である。

「邪宗門」正面

こぢんまりしたレトロな店構えに惹かれ、ためらいながらもドアを開ける。1階の受付で紅茶を注文し、2階へ上がった。
今日は2階席に通されることが多い日である。
先程の喫茶店とは打って変って、これはこれで実に味のある、良い喫茶店だ。
但馬屋珈琲店が紳士が集う場であるとするなら、此処は昭和の若者が集って趣味の話をする場のような雰囲気だ。店内には、店主の趣味なのか多種多様な本が所狭しと並んでいる。
タンゴのような音楽、ぎゅっと詰めるように並べられたボックス席。
映写機のようなものの上には額に入った書状まである。好きなものをとにかく詰め込んだ店内は、秘密基地のようなワクワク感もあった。

「邪宗門」店内
「邪宗門」店内
「邪宗門」店内

窓際の席には、女子大生らしき2名が編み物をしながら雑談をしていた。それが妙に店内の雰囲気に合っていて、映画のワンシーンのようであった。
僕は音楽が流れるスピーカーの前の1人席を選び、腰かけると、雑誌が読みたくなったので持ってきた映画雑誌を開いた‥‥‥

壁にかけられた時計が、不意に時刻を告げた。
15時40分。なんて微妙な時間に鳴るのだ、この時計は。
しかし、今の僕にはありがたい。刻々と迫る入館へ向けて、荷物をまとめることにした。
受付のおばあさんにお金を渡し、小さなドアをくぐって外へ出ると、冷気が頬を撫でる。魔法が解けたようだ。

はやる気持ちを抑えつつ、僕はお待ちかねの宿へ向かうべく、西日の方へ向かって歩き始めた。

続く


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